プロ野球PRESSBACK NUMBER
巨人にFA決断、暴行騒動、異例だったメジャー挑戦…山口俊がいま明かす“激動のあの日”「マネーゲームをしたくなかった」
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph byTakuya Sugiyama
posted2023/06/12 11:02
昨季をもって現役を引退した山口俊にインタビュー(前編)
ベイスターズ時代に慣れ親しんだ背番号11から42番に変え、新天地の巨人でスタートを切ったのが2017年。だが右肩痛の影響で開幕を出遅れ、不調に悩まされた。結局4試合の登板にとどまり、チームもその年、11年ぶりにリーグ4位と低迷。頼りにしていた堤GMも不振の責任を取り、異例となるシーズン中の退任が決まった。
「42番はアメリカでは特別な番号(編注:初の黒人メジャー選手、ジャッキー・ロビンソンが背負った永久欠番)。そのとき、巨人で空いている番号から自分で選びました。移籍後はいろいろ大変でしたね。17年の件もそう。自分がどれだけ注目をされる立場なのか意識せず、軽率な行動だったと反省しています。ただ、失敗した経験や進退まで思い悩んだことは勉強にもなりました。
プレーについては、調子が良い、悪いで深く悩むことはなかったですね。プロ野球の世界は、常にやるかやられるか、やれるかやれないか、というところなので、もうそこはFAで移籍したときから自分で覚悟を決めてやっていた。当然日々のコンディション調整にはベストを尽くすのですが、調子の良し悪しについては自分の中である程度割り切ってやっていました」
いま振り返る「あの騒動」
移籍1年目の17年、当時メディアで「泥酔・暴行事件」と報じられたトラブルがあった。自身の30歳の誕生日だった7月11日未明の出来事。不起訴だったが、謝罪会見も行い、球団からはシーズン終了までの出場停止と罰金処分が科せられた。
「当然、反省すべきこと。そこは揺るがない思いです。ただ複雑な思いはありますね、やっぱり。世の中のイメージは報道がすべてになってしまうので、無責任な伝え方が多すぎる……とかはあります。とはいえ、ファンの方に対しては、プロ野球選手としてプレーさせてもらっている以上、どうであれやっぱり期待を裏切ったことに違いはない。だから、ファンの方に厳しく言われるのは仕方ないことだと思っています」
騒動について今、弁明しておきたいことはあるのだろうか。