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巨人にFA決断、暴行騒動、異例だったメジャー挑戦…山口俊がいま明かす“激動のあの日”「マネーゲームをしたくなかった」
posted2023/06/12 11:02
text by
水次祥子Shoko Mizutsugi
photograph by
Takuya Sugiyama
◆◆◆
山口俊の野球人生は、本人が言うようにまさに波瀾万丈だった。
2005年のドラフト会議で横浜ベイスターズに1巡目指名で入団し、エースとしてもクローザーとしても活躍。順風満帆な野球人生で最初の転機を迎えたのは、それから11年後、29歳のときだ。
FA移籍…悩んだ末になぜ巨人?
2016年11月8日にFA宣言。11年間世話になったベイスターズへの残留可能性も残しつつ、当時の報道によると「中日か巨人」の2球団による争奪戦が繰り広げられ、最後に巨人入りを決断したと報じられた。
「有り難いことに何球団かに声をかけていただいて。最終的には、当時の巨人の堤辰佳GMの強い熱意といいますか、僕に対しての思いや期待という部分で決断させてもらいました。決めるにあたって、僕のことをどこまで深く見てくれていて、どんな役割を任せてくれようとしているのかを一番重視しました。ジャイアンツというよりも僕は堤さんから伝わる気持ちで選んだ。もちろんどのチームからもすごく誠意を感じましたし、残留することも含めて本当に最後の最後まで迷ったのですが……。当時の肩の状態などもきちんと事前にお話しした上で、巨人軍でプレーすることを決めました」
「マネーゲームしたくなかった」
FA宣言したシーズン、つまりDeNA最終年の成績は先発として19試合に登板し、11勝5敗、防御率2.86。チームとして“計算できるピッチャー”の争奪戦は、宣言から約3週間で幕を閉じた。
「何と言うか……ストレートに言うとマネーゲームをしたくなかった気持ちもありました。プレーヤーとしての自分の適正価格も自分なりに考えて、これくらいかなというのがあったんです。プロなのでお金も大切。ですが、それよりもっと違うところを大切にしました」