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「まさか、ここに龍がいたなんて!」鹿島で引退を考えた遠藤康(34歳)が故郷・仙台で“あの石巻の少年”と再会…3.11がつなぐ物語 

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佐野美樹

佐野美樹Miki Sano

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posted2023/03/11 11:01

「まさか、ここに龍がいたなんて!」鹿島で引退を考えた遠藤康(34歳)が故郷・仙台で“あの石巻の少年”と再会…3.11がつなぐ物語<Number Web> photograph by Miki Sano

2013年、東北人魂が宮城県石巻市で開催したサッカー教室で、元日本代表・今野泰幸(左)からサインをもらう当時小6の菅原龍之助。10年後、菅原はJリーガーになる

 プロになって、子供の頃一緒にボールを蹴ったことを、東北人魂の選手に早く言いたい。菅原はずっとそう心に思っていたという。

「あの時の東北人魂のイベントで、小笠原選手と同じグループで、当時色々教えてもらったりしたのを覚えていて。小笠原さんが現役中に、僕もプロになりたいなぁって思っていたんです」

 しかし、菅原が高校を卒業するタイミングで小笠原は現役を引退。菅原は産業能率大に進学し、ようやくプロへの道が見えてきた矢先に、遠藤が鹿島から仙台に移籍をしてきた。

「もうこれは、お会いしたら絶対言おうって思っていたので、クラブでヤスさんに声をかけることができた時は『やっと言えた!!』ってすごく嬉しかったです」

 諦めないで叶えた、菅原の一つの夢だった。そしてそれは「東北人魂」の夢だった。

実は“引退”を考えていた遠藤

 一方の遠藤に仙台移籍当時の話を聞くと「本当は、引退しようと思っていたんですよね」と、意外な言葉を口にした。鹿島で選手生活を終えようと考えていた最中に、仙台からオファーが届いたのは、恐らく「運命」だった。

「鹿島にいるときは仙台でサッカーするイメージは自分の中では全くなかったです。でも、このタイミングで仙台に帰るということは、もっと恩返ししなさいよ、って誰かに言われてるのかなって思ったんです。現役選手でいることで、自分にしかできないことがサッカー以外にもまだまだあるのかなと。それで仙台に来たら、こうして龍に声をかけられた。僕が引退していたら、仙台に来てなかったら、そして何より龍が仙台でプロになっていなかったら、この出会いはなかった。だから、本当にこれは仙台に来る運命だったんだなぁって思っていますし、あの時、声をかけてくれたベガルタにはすごく感謝しています」

 そして遠藤は続けた。

「東北人魂を立ち上げた時も、その後も、満男さんが『この震災を風化させないために、やり続けることに意味がある』って、いつもいつも言っていたんですね。だから僕の中ではイベント規模の大きい・小さいは全く関係なくて、とにかく東北人魂が活動してるということを守りたい。その気持ちが一番です。そしてそれを続けていたことで、龍とのこういう出会いがあったので……試合のピッチだけじゃなくて、ピッチ外のところでも人と人が繋がると、やっぱりサッカー人生楽しくなるよね(笑)」

【次ページ】 菅原「活躍すれば震災を話す機会が増える」

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