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JリーグPRESSBACK NUMBER
「すぐに満男さんに言わなきゃ!」活動12年“東北人魂”にいた石巻の小学生がJリーガーに…新築の家が全壊した少年を支えたサッカー教室
posted2023/03/11 11:00
text by
佐野美樹Miki Sano
photograph by
Miki Sano
発足から13年目の今年、当時参加していた少年の1人がついにJリーガーになった。チームメイトになる遠藤康(34歳)の証言をもとに、“再会”までの道のりを秘蔵写真と共に辿る。【全2回の1回目/後編へ続く】
待望の時は、2022年の夏に突然やって来た。
ベガルタ仙台の遠藤康は、練習前の軽いジョギングをしていると、ある若い選手から声をかけられた。
「あの……僕、子どもの頃、東北人魂のイベントに参加したんです」
遠藤は思わず大きな声を出してしまった。
「えっ???」
東北人魂とは、東日本大震災を受けて、小笠原満男ら東北出身のJリーガーたちが東北地方におけるサッカー発展のため2011年に立ち上げ、活動している団体「東北人魂を持つJ選手の会」の通称だ。
いつかこの活動で触れ合った子どもたちの中からJリーガーが現れてほしい――参加している選手たちは皆、それを合言葉のように口にしながら取り組んできた。まさにその思い描いていた瞬間が訪れた時だった。
当時まだ大学生で、内定先のベガルタ仙台に練習参加をしていた菅原龍之助は、遠藤に向かってこう続けた。
「石巻に最初に来てくれたイベントと、その後もまた石巻で……」
遠藤は興奮を隠しきれなかった。
「石巻! 行った!! その時にいたんだ!! すごいな!! すごいよ!!」
その話を聞いた後は、正直、嬉しさと感動で練習に身が入らなかったと、遠藤は笑う。
「もちろん当初の活動では復興支援が大前提でしたけど、選手の思いは、いつかはここからJリーガーが出て欲しい、その思いが一番にあったので。やっと出てきたなぁと思うと感慨深かったですし、何より早く(小笠原)満男さんに言いたい! って、そればかり考えていました(笑)」
故郷を襲った大震災「本当に現実なのか」
2011年3月11日。その時、遠藤はバスの中にいた。
生まれ故郷の仙台を出て、高校卒業から15年在籍していた鹿島アントラーズの試合のため、東京駅へ向かうバスの中だった。突然バスが止まると、大きな揺れを何度も感じ、やがて車内のテレビには津波の映像が映し出され、遠藤は言葉を失った。
「その時は何にも考えられなかったですね。自分の家族は大丈夫なのかとか、友達や知り合いも……いや、そういうところまで心配する余裕もなかった。だって、自分が想像もしていないことが起きているから。これが本当に現実なのか。まだ自分の目の前で起きているのであれば現実だと認識できるけど、テレビで見ていることだから、そこまでなかなか自分の中に入ってこない。どこか他人事だし、だけど自分の家族とかも関わっているしで、なんとも言えない不思議な感じでした」
ショッキングな映像が立て続けに目に飛び込んできて、不安だけがどんどん増幅していく。しかし自分達も肝心の試合がどうなるのか、このあとどうするのかなど、車内は騒然としており、そんな状況に何から心配したらいいのか、頭が回らないような状態だったという。
「とにかく鹿嶋に戻ろうってことになったけど、高速道路は全部止まっていて、下道で十何時間かけて帰ったのを覚えています。その間も、電話は全然繋がらないし、自分の親にも連絡が取れない。だからクラブの寮に着いても眠れない。しかも、試合もまだあるのかどうかもわからないしで……どうしたらいいのかわからなかったですね」
地震発生から丸1日経った頃、ようやく仙台に住む家族たちと連絡がつき、無事を確認することができた。
「もう大丈夫だよ、と聞けてひとまず安心はしましたけど、向こうはかなり大変そうでした。それでもやっぱり心配なので『俺も帰ろうか?』とは聞いてみたけど、来られても困るからいいよって言われてしまって。確かに1人増えるだけで必要なものも増えてしまう。居ても立ってもいられませんでしたけど、邪魔になるだけだなと、思い止まりました」
その後Jリーグの中断が決まり、チームは一時解散。遠藤は家族のケアをしつつ、練習再開までの間は、静岡にある祖母の家に身を寄せていたという。