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武藤敬司の相手は「最初も最後も」蝶野正洋だった…1984年、2人のデビュー戦を撮影したカメラマンが紐解く「天才レスラーの真実」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/02/24 17:30
「昭和プロレスの終焉。さらば、ムーンサルト」2023年2月21日、武藤敬司は東京ドームで引退試合を終えた
あの横綱も最前列に…なぜ人は武藤敬司に憧れるのか
本人はよく覚えていないというが、武藤が橋本や蝶野と戦ったG1やIWGP戦は、特別な印象を多くのファンに与えていた。ムタという存在も大きかった。
1月1日に戦ったWWEの中邑真輔は「ムタはボクのアイドル」と言い、この日、引退試合の相手に指名された内藤哲也にとっても「武藤敬司は憧れ」だった。内藤は武藤がいたからこそ、プロレスラーになれたのだ。
3万人の観客の中には、第72代横綱の稀勢の里寛(現・二所ノ関親方)もいた。
少年時代から武藤の大ファンだったという稀勢の里は、武藤の引退試合が決まると、真っ先にリングサイドの最前列を購入した。それを知ったノアからは「ご来場いただけるなら招待します」と連絡があったようだが、稀勢の里は「ファンだから」と固辞したという。
様々なファンの思いを背負って、武藤は戦ってきた。ファンは武藤に憧れを抱き、それぞれの夢や青春や希望を託した。
新日本プロレスから全日本プロレス、Wrestle-1、ノア――看板タイトルのベルトをすべて巻いた。スキンヘッドの魅力も示した。
昭和のプロレス、と人は言う。力道山から始まった日本のプロレスは、ジャイアント馬場、猪木に引き継がれ、藤波、ジャンボ鶴田、長州、天龍源一郎、前田日明、三沢光晴、橋本、武藤、蝶野らに継承された。会場に響く怒号と喧騒は、古き良き時代の活力を示すものでもあった。
武藤は内藤を相手に、橋本の袈裟切りチョップやDDT、三沢のエメラルドフロウジョンを繰り出して、引退試合ができずに天国に旅立った仲間のレスラーたちにメッセージを送った。
デスティーノを決められ、28分58秒、内藤にフォールされた。