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アルコール依存症の父、血を流した母…「やめて帰ったら、親がバカにされる」全女で活躍した元女子プロレスラー・山崎五紀(59歳)の“壮絶な幼少期”
posted2025/12/30 11:06
立野記代との「JBエンジェルス」でも活躍した元全女プロレスラー・山崎五紀さんのインタビュー(第1回)
text by

伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
東京スポーツ新聞社/Shiro Miyake
昨年世界配信されたNetflixシリーズ「極悪女王」で、まったく描かれることがなかったのがJBエンジェルスの山崎五紀と立野記代だ。
同作では、全日本女子プロレス興業(以下、全女)で1980年にデビューしたクラッシュ・ギャルズの長与千種とライオネス飛鳥、ダンプ松本やクレーン・ユウ、大森ゆかりを中心とした全女勢を俳優が演じたが、翌81年にデビューしたJBは“その他大勢”に甘んじた。
しかし、山崎は幼少期から10代後半にかけて、ソロで描かれるに足るハードでドラスティックな経験を重ねている。
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ここでは、壮絶な過去にスポットライトを当てる。
◆◆◆
山崎 生まれたのは、兵庫県の姫路市から定期船が出ている、家島というちっちゃな島。お魚がおいしい、海に囲まれた田舎で、信号もないし、デパートもない。個人でやってる商店、喫茶店しかないようなところでした。小さいときはね、活発でしたよ。髪の毛は、かりあげて。
――えっ、かりあげ!?
山崎 そうです(笑)。いつも男の子に間違えられてました、「僕、僕」って呼ばれて。お母さんに連れられていくのは床屋、ですよね。かりあげにされても、違和感はなかったですよ。ずっと男の子と一緒に走りまわってる、元気な子でしたね。
アルコール依存症だった父
――快活な末娘なのに、家に帰るとお父さまが酒乱だったという。それを知ったときは、整合性が取れませんでした。
山崎 いちばん上の姉とは10歳離れてるんですけど、その10年間で(父が)変わってしまったから、2人の思い出が違うんですよね。お姉ちゃんは働いてるお父さんを知ってるけど、私が物心ついたときはもう、病院に入ってましたから。酒乱の人って、メンタルもやられてしまうから、どっちかっていうと、入院するのは精神科の病院のほうなんですね。うちはアルコール依存で、そっちのほうの病院だって聞いてました。
――五紀さんが、何歳ぐらいのときですか。
山崎 幼稚園から小学校低学年ぐらい、かな。1週間や10日に一度、月に一度だったこともあったかな、外泊許可をもらって(父が)家に帰ってくるんですね。お母さんと一緒に朝イチの船に乗って、姫路にあった病院までお父さんを送り迎えしてた、みたいな感じですね。
――お父さまのお仕事は?
山崎 詳しくは聞いてないんですけど、写真を見たら船に乗ってた。まぁ、島だからね、ほとんどの人が漁業や船の関係の仕事なので、きっとそういう仕事だったんだろうなと。お酒を飲まなければ、ほんとにいいお父さんなんですけど、飲んじゃうと暴れたりとか。

