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スポーツ物見遊山BACK NUMBER
武藤敬司は日本初のスキンヘッドヒーロー?「イメチェンするからさぁ」フードを脱いだ瞬間、高田延彦も呆然とした20世紀最後のサプライズ
posted2023/02/21 17:01
text by
高木圭介Keisuke Takagi
photograph by
東京スポーツ新聞社
2月21日(ノア・東京ドーム大会)に、リングを降りる武藤敬司には、もう1つの功績として「日本国内にスキンヘッドのヒーロー像を定着させた」がある。
武藤が現在のイメージへと連なるスキンヘッドに変身したのは2000年12月31日、大阪ドームにて開催された『INOKI BOM-BA-YE』でのこと。メーンイベントのゴング前にフードを脱いだ武藤がツルツルピカピカとなった頭部を初披露したのだった。20世紀最後のサプライズ、いやもっと大きく千年紀でいう第二ミレニアム(1001~2000年)最後のサプライズとも言えた。
試合は「高田延彦&武藤敬司vsドン・フライ&ケン・シャムロック」という異色の組み合わせだったが、試合結果(高田がバックドロップでフライをフォール)を憶えている人は案外と少ない。それほど武藤のスキンヘッド姿は衝撃を残した。武藤がフードを脱いだ瞬間の、パートナー・髙田の呆然とした表情がすべてを物語っていた。
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以降の武藤はスキンヘッド姿にアゴヒゲをたくわえた姿こそをトレードマークに21世紀のプロレス界を驀進。あれから23年、今や武藤といえば長髪時代よりも、真っ先にスキンヘッド姿を思い浮かべる人のほうが多いはずだ。
欽ちゃんや加トちゃんが着けてたハゲヅラ
プロレス界に限らずだが、海外ではユル・ブリンナーやブルース・ウィリス等々、スキンヘッドを売りとする主役級の俳優は多いのだが、こと日本国内だとこれがなかなかいない。スキンヘッドは僧侶や老人の記号となってしまうし、デン助(大宮敏充)や加トちゃん(加藤茶)、欽ちゃん(萩本欽一)らがコントで着用するハゲヅラを挙げるまでもなく、笑いを呼ぶアイテムとして機能してきた歴史もある。プロレス界においてもスキンヘッドは悪役、もしくは脇役でしか存在しなかった。
武藤はもともと坊主にもスキンヘッドにも抵抗がないタイプ。入門時(武藤は84年4月)こそ、慣例に従って新弟子はツルツルの丸坊主にされて修行に励み、デビュー戦を迎える頃には徐々に髪も伸びつつ、いわゆる「野球部3年の秋」みたいになってくる。ところが武藤はデビューから5カ月後に出場した『第1回ヤングライオン杯』で、一人だけ再びツルツルのスキンヘッドに剃り上げて出場し、見るからに異彩を放っていた。
88年7月に1試合のみのために凱旋帰国した際は、ワイルドな坊主頭であり、1度目(86年10月)と3度目(90年4月)の凱旋帰国時はロングヘアとなって、若きエース候補、エースとして女性ファンのハートを鷲づかみにしていた。