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武藤敬司の相手は「最初も最後も」蝶野正洋だった…1984年、2人のデビュー戦を撮影したカメラマンが紐解く「天才レスラーの真実」
text by
原悦生Essei Hara
photograph byEssei Hara
posted2023/02/24 17:30
「昭和プロレスの終焉。さらば、ムーンサルト」2023年2月21日、武藤敬司は東京ドームで引退試合を終えた
「猪木さんに褒められたことは一度もない」
1988年7月の有明コロシアムは、橋本、蝶野とトリオを組んだ「闘魂三銃士」という名前での試合だったが、あまり印象には残っていない。筆者は「三銃士」というくくりが気に入らなかった。それぞれ個性があるのに、3人セットみたいな名前はいらないと思った。彼らは仲良しであり、もちろんライバルでもあったが、3人がタッグを組む機会は稀だった。
気づけば、そのうちの1人の武藤が、アメリカで誰もが知っているグレート・ムタになってブレイクしていた。
ムタは1990年9月、日本に逆上陸。武藤は日本では2つの顔を使い分け、馳浩らと独特の試合を見せ始める。
橋本、武藤、蝶野のために用意されたのが、1991年8月の第1回『G1 CLIMAX』だ。8人が参加し、愛知大会から両国3連戦。クラッシャー・バンバン・ビガロ、ビッグバン・ベイダー、スコット・ノートンという怪物たちがいて、藤波辰爾、長州力もいた。決勝に進出した武藤は蝶野と戦ったが、優勝したのは蝶野だった。蝶野は決勝前に橋本と決勝進出をかけて戦って消耗していたので、優勝は武藤だろうな、と思っていた。
デビュー以来ずっと勝ち越していた蝶野に、決勝で敗れた。ノーマークだった蝶野が優勝して、両国国技館に座布団が舞った。武藤がG1で優勝するのは、IWGP王者だった1995年まで待たなければいけなかった。ムタとしては1992年8月に長州を倒し、IWGPヘビー級のベルトを獲得している。
1995年10月、東京ドームでのUWFインターナショナルとの対抗戦。武藤と高田延彦のIWGP戦は、大きなインパクトを残した。
「猪木さんに褒められたことは一度もない。『オマエ、ちょっと派手にし過ぎるんじゃないか』って、怒っている気がします」
アントニオ猪木に否定されても、武藤は自分のスタイルを貫いた。