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サムライブルーの原材料BACK NUMBER
「俺にとってナンバーワンだった」引退の田中隼磨にピクシーが電話で伝えたこと…支えになったオシムの言葉「休みから学ぶものはない」
text by
二宮寿朗Toshio Ninomiya
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/12/19 11:03
名古屋グランパス時代、不動の右サイドバックとしてプレーした田中隼磨とストイコビッチ監督。田中の引退表明後にピクシーから電話がかかってきたという
反町監督から「お前には一番感謝しなきゃ…」
そして田中にとって、もう一人恩師と言うべき存在の指揮官がいる。松本山雅を2度、J2からJ1に昇格させ、ひたむきに闘うスタイルを築き上げた反町康治である。ピクシーとの5年間をしのぐ6年もの間、反町のもとで戦ってきた。キャリアのなかで一番長く過ごした監督だった。
2019年シーズンを最後に退任する際、田中は反町のもとを訪れて直接感謝の言葉を伝えている。深々と頭を下げる田中に、反町はこう返したという。
「俺のほうこそ感謝している。いや、お前には一番感謝しなきゃいけないのかもしれない」
思いがけない言葉だった。
走れ、闘え、あきらめんな。反町の教えを先頭に立ってピッチで具現化した自負はあったものの、そんなふうに思ってくれているとは考えもしなかったからだ。
いや、それで良かった。ピクシーの接し方から学んだことでもあった。起用がすべての答え。日々のトレーニングを精いっぱいやって、評価されたら試合に出る権利を与えられる。プレーをする機会を与えられたら、課せられたことを全力でやる。それを繰り返していくだけーー。
「自分のスタイルとして、自分がどんなサッカーをしたいかとか、自分の理想なんかはどうでもいい。それは自分が将来監督になってから表現すれば良い。監督がどんなサッカーをしたいか、チームにとって自分の役割とは何か。岡田さんのときもピクシーのときも、そしてソリさんのときもそうです。そこを理解して一生懸命やるだけだし、チームのためにと思ってやってきたつもりです」
誰からも認められ、誰からも愛された田中隼磨の22年間。それはすべてを良い出会いにしてきた対価でもあった。
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