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本田圭佑と座った“熱盛”実況席「カタールW杯は人生の宝物になった」テレ朝・寺川アナが明かした“8年越しの思い”とは?〈早大時代はGK〉
posted2022/12/16 11:04
text by
林遼平Ryohei Hayashi
photograph by
Atsushi Tokumaru
――寺川さんがスポーツ実況アナウンサーを目指した理由を教えてください。
寺川俊平アナウンサー(以下、寺川アナ) もともと小さい頃からサッカーをやっていて、早稲田大学でもサッカー部に入っていました。大学ではGKをやっていたのですが、周りの選手たちがうますぎて、5mのパスでさえも足が震えて出せなかった時もあり……。最終的な立ち位置は10人ほどいるGKのなかで5番手くらい。プロのサッカー選手になるのは絶対に無理でした(苦笑)。
大学2年の終わりぐらいですね。サッカー部に高知高校出身の同期がいて、彼は「将来、金持ちになりたい」といつも口にしていました。その方法をいろいろな人に聞きに行くようなすごくハングリーな人で。ある時、その彼と全く同じタイミングで怪我をしてリハビリが一緒になったんです。そこで「テラは就職どうするの?」と聞かれ、その時はざっくりと「大手企業に入りたいかな」と話したんですけど、「それじゃダメだ。夢を持てよ!」と言われて……。
――その同期の言葉が動き出すきっかけになったと。
寺川アナ 彼が教えてくれたのは「どんなおじいちゃんになりたいかを考えろ」ということでした。その時に私が思い浮かべたのは、“しゃべりの面白いおじいちゃんになりたい”ということ。近所で有名で、いろいろなことを経験していて、話し方も上手くて明るいおじいちゃん。そんな人になりたいなと(笑)。そこから将来のプランを具体的に考えるようになりました。
その頃、たまたま同級生の女性がアナウンススクールの教本を持っていてそれを読む機会がありました。GKで大声を出してきた成果なのか「すごい!うまいじゃん!」と言われて、いい気になりまして(笑)。面白いおじいちゃんになるには、これしかないなと思ったんです。喋るのが好き。サッカーも好きだからそれに関わる仕事がしたい。ならば実況アナウンサーしかないじゃないか、と。日本代表のW杯の試合で実況することを夢見て、アナウンサー試験を受けに行ったのがスタートです。
“青いユニフォーム”は憧れの存在
――W杯で実況するという夢が叶いましたね。
寺川アナ 日本代表が小さい頃から大好きでした。私にとって、青いユニフォームでプレーする選手たちは憧れの存在。それは今も変わりません。国を代表して、国歌を歌って、応援される中で必死に走っているわけです。その日本代表が一番輝くのがW杯。その舞台で活躍している日本代表のことを実況できたら最高だなと思い、テレビ朝日に入りました。