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本田圭佑と座った“熱盛”実況席「カタールW杯は人生の宝物になった」テレ朝・寺川アナが明かした“8年越しの思い”とは?〈早大時代はGK〉
text by
林遼平Ryohei Hayashi
photograph byAtsushi Tokumaru
posted2022/12/16 11:04
早稲田大学サッカー部ではGKとしてプレーしたテレビ朝日・寺川俊平アナウンサー。スポーツ実況を目指すきっかけは、同期の言葉だった
――現在、入社13年目を迎えました。ここにたどり着くまでいろんな経験があったと思います。
寺川アナ 正直、苦労した時間の方が多かったですね。テレビ朝日に入社した同期のアナウンサーの中で、私はレギュラー番組を持てるまでに最も時間のかかったアナウンサーなんです。丸4年、何もありませんでした。ずっと“実況見習い”のような立場で、いつ舞台が用意されるのかとずっと不安を抱いていました。
初めてW杯に関わったのは2014年のブラジル大会です。中継映像を見ながらスタジオで実況を入れる「オフチューブ形式」でフランス対エクアドルに携わりました。日本代表では第2戦のギリシャ戦を、ニュース用の映像に実況をのせるナレーションを福田正博さんとやらせてもらったのが初めてですね。その時点で、4年後のロシアW杯は絶対に現場でしゃべりたい!と思っていたのですが、18年大会は録画放送で第2戦セネガル戦を喋るだけ。スポーツの醍醐味である生放送ではなかったんです。だから、今大会は絶対に――という思いは強かったんです。
「熱盛」で人気アナウンサーの仲間入り
――苦労してきたとはいえ、『報道ステーション』では「きょうの熱盛」という野球の人気コーナーをもっているように、着実に階段を登ってきた印象も受けます。
寺川アナ たしかに『報ステ』は自分の名前をたくさんの方々に知ってもらえる機会になりましたが、それ以上にスタッフと一緒に考えて「ああでもない」「こうでもない」と試行錯誤しながら映像に声を吹き込んだ「熱盛」が流行ったことのほうが嬉しくて。なんだか、文化祭をやっている気持ちなんです(笑)。みんなで出し物をして、それが評判になって、行列ができているみたいな感覚に近いかなと。流行りを作りたかったわけではないのですが、何が嬉しいって野球選手たちが「これ、“熱盛”になりますかね?」と言ってくれるようになった。そうやって今も続くようなコーナーを作れたことは本当に嬉しく思っています。
――そういう成功体験は、W杯に近づいている実感を与えてくれたのでしょうか。
寺川アナ それはすごく感じていました。まさに『報ステ』ではロシアW杯のコーナーを担当していましたし、実況できるだろうと思って現地に入っていました。先ほど言ったようにそれは叶わなかったのですが、ただ、私のアナウンサー人生の中でもすごく大きな財産になったのが、当時のサッカー解説者として出演いただいていた中山雅史さんとベルギー戦をスタンドで観ることができたことです。
あの衝撃的なカウンターからの失点シーンを、日本で初めてW杯に出場して、初めてゴールを奪った人と目に焼き付けることができた。あの光景を本当に一生忘れないと思います。そこからの4年間、ちゃんと日本代表を見続けようと思った瞬間でした。