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「シンジは優しすぎてNOと言えなかった」フェイエ小野伸二はなぜ“ビッグクラブ”に移籍しなかった?「休養すべきときも日本代表のために…」
posted2023/12/20 11:03
text by
ミコス・ハウカMikos Gouka
photograph by
Takuya Sugiyama
★Sports Graphic Number1068号(2023年2月16日発売)に掲載された『[オランダから愛をこめて]シンジとフェイエの蜜月』を特別に無料公開します《翻訳=中田徹》。
※時系列などは全て初出時のまま
小野が加入した2001-02シーズンのフェイエノールトは、国内リーグこそアヤックス、PSVに次ぐ3位に終わったものの、UEFAカップではレンジャーズ、インテルといった欧州の強豪を撃破し、地元ロッテルダムで開催された決勝に進出。ドルトムントを激闘の末、3-2で破り、1973-74シーズン以来となる2度目の優勝を果たした。
ファイナルの後半5分、小野は現地メディアが「シルクのようになめらかなパス」と形容するスルーパスをトマソンに通し、チームの3点目をアシストした。このゴールが小野とトマソンにとってのベストシーンかと思いきや、トマソンが忘れられない小野の姿として挙げたのは、UEFAカップ準々決勝のPSV戦だった。
「シンジはリフティングをしながら…」
オランダ勢対決となった準々決勝は、ファーストレグ、セカンドレグともに1-1で終わり、PK戦で雌雄を決することになった。
フェイエノールトの第1キッカーは小野。固唾を飲んで見守る大観衆、そしてチームメートとスタッフたち。すべての視線が背番号14に注がれる中、小野は左右両足を巧みに使って悠々とリフティングを始めたのだ。このシーンについて、トマソンは懐かしそうに語る。
「あのPK戦は忘れることができない。シンジはリフティングしながらペナルティースポットに向かったんだ。それはシンジにとって自信の表れだった。そしてPKを決めた。『美しい』。僕はそう思ったよ。シンジは観る者を魅了する選手だった」
ファンマルバイクも小野のリフティングに度肝を抜かれた一人だった。
「きっとシンジは無意識のうちにリフティングを始めたんだろう。しかしそれが、チームメートに対する“あまり緊張するな”というメッセージとして伝わった」
結局、5人全員がPKを成功し、フェイエノールトが勝ち上がった。