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大谷翔平「日本ハムにお世話になります」までの舞台裏…“可能性ゼロ”から交渉を続けた元GMが10年越しに明かす「とてつもなく長い45日間」
text by
佐藤春佳Haruka Sato
photograph byKYODO
posted2022/11/19 17:00
国内球団への入団について「可能性はゼロ」と話していた大谷だが、1カ月半の交渉の末、日本ハム入りを決断
最終交渉を終えた後でも、山田氏は大谷入団の確信を得られないままだった。
「気持ちが傾きかけている、という印象は一度も受けませんでしたし、最後の交渉でもまとまった話ができないまま別れましたし、球団にも最後まで、“ダメになる可能性はあります”と伝えていたほどです」
その数日後に大谷側から突然、12月9日に進路を表明するという連絡が入った。当日、奥州市内のホテルで会った大谷は、真っすぐな瞳でこう口にした。
「日本ハムにお世話になります」
翻意した瞬間はいつ? 大谷の答えは…
大挙した報道陣の前での記者会見を心配した山田氏が「お父さんに話してもらってはどう?」と提案すると大谷は首を横に振り、「僕が自分でお話しします」ときっぱりと口にしたという。
「本人に“そういう気持ちになったのはいつなの?”と聞いたら“急にです”って(笑)。普通は交渉するなかで気持ちが少しずつ変わっていくのが分かって、途中からは先が見えてくるものでしょう。でも大谷に関しては最後まで手応えがないまま、本当に“急に”でした。こちらが熱意を伝えるなかで、すぐに海を渡るリスクを考えてまず日本ハムから、と決断してくれたと思うんですけどね。それにしても僕にとっては、とてつもなく長い1カ月半でした」
もし大谷が18歳でのメジャー挑戦を決断していたら……。もちろん、夢の舞台でトップクラスの選手になっていたかもしれないが、“二刀流”での活躍は見られなかったはずだ。あれから10年、大谷は今季投手として自己最多の15勝、打者としては34本塁打を放ち、MLB史上初となる規定投球回数と規定打席の同時到達を成し遂げた。現在はスカウト顧問をつとめる山田氏は、海の向こうでの活躍を温かいまなざしで見守り続ける。
「打った打たない、ということよりもとにかく怪我をせず無事シーズンを過ごしてほしい。一人のファンというか、親のような気持ちで見ています」
《つづく》
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