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ぼくらのプロレス(再)入門BACK NUMBER
アントニオ猪木vsマサ斎藤の“巌流島決戦”は血だらけの死闘に…証言で見る舞台裏「猪木さんは自暴自棄に」「あんな馬鹿な試合ができるのは…」
text by
堀江ガンツGantz Horie
photograph byEssei Hara
posted2022/10/25 17:15
1987年10月4日、アントニオ猪木とマサ斎藤による「巌流島決戦」
そして迎えた10・4「巌流島決戦」
10月4日、猪木とマサは、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘伝説のある無人島・巌流島で対戦。猪木はこの2日前に離婚届を提出。心に大きな穴を空けたまま、観客のいない、無人島に設置されたリングで、暗闇の中マサ斎藤と黙々と闘った。
この異様な一戦をマサはこう振り返る。
「俺も20年以上この商売をしてきたけど、あんな試合は初めてだった。猪木からは、『野っ原で闘う』としか言われてない。あれはルールがあってないようなものよ。レフェリーもいないし、観客もいない。何時間やるのか、いつから始まるのかもわからない。あれは試合をしながら酔ったな。夕刻から始まった試合は、ハッと気がついたら回りが暗くなってて、日が落ちるのもわからなかった。途中からは闇夜で、まるで宇宙空間で猪木と二人だけで闘っているようだった」
観客もレフェリーもいない二人の“私闘”は、両者血だらけフラフラな状態のまま2時間以上にわたる“死闘”となり、最後はマサを絞め落とした猪木が2時間5分14秒、TKO勝ちを収めた。
「プロレスというのは観客の声を聞き、観客が求めるものを感じ取って闘うもの。それを観客がいないなか闘うなんて、最初はどうしたらいいかわからなかったけど、途中からはそういった余計な考えはすべてなくなり、俺と猪木だけの世界になった。あんな馬鹿な試合ができるのは、俺とアントニオ猪木だけよ」(マサ)
この試合後猪木も「プロレス人気は落ちていたのに、巌流島の上空をヘリコプターが4機も旋回し、結果的に俺の離婚騒動に負けない話題になった。一発逆転になったんだ」と、満足げなコメントを残している。猪木は、どん底の精神状態に追い込まれながら、誰にもできないプロレスを見せつけたのだ。
《つづく》
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