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「いやらしい目で見られる写真集にはしたくなかった」大人気レスラーが“オールヌード”になったまさかの理由…豊田真奈美が今明かす“全女のギャラ事情”
posted2026/03/13 11:01
現役時代は「飛翔天女」のキャッチフレーズで人気を博した元女子レスラー・豊田真奈美さんインタビュー【第2回】
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伊藤雅奈子Kanako Ito
photograph by
Hideki Sugiyama/AFLO
天才――。誰の目にもそう映っていた豊田はやがて、全日本女子プロレス興業(全女)で“通過儀礼”を経験させられることとなった。バラエティ番組への挑戦、歌手デビュー。そして、オールヌード写真集の出版。
ところが、全女は1997年10月20日に2度目の不渡りを出して倒産した。金看板ファイターだった豊田の歯車は、この前からすでに大きく狂っていたという。
◆◆◆
試合の合間の歌唱「面倒くさかった」
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――20代前半ではとんねるず(石橋貴明、木梨憲武)の冠バラエティ番組に出演したり、デュオやユニットで歌手デビューしましたが、芸能活動はどんな思いでやっていましたか。
豊田 あのころは試合の合間に歌わされたでしょ、誰かしらが。あれが面倒くさかった。歌もダンスも上手じゃないのに、d-power(ディーパワー/豊田がメインボーカルで伊藤薫、吉田万里子、府川由美、玉田りえによるユニット)とかやらされて。試合前で忙しいのに、歌の衣装に着替えてとか、それは大変だった。歌がうまかったら、それも楽しかったかも、だけど。
――ああいう売り出され方に対して、抵抗感はなかったと?
豊田 田舎から出てきた子が、CDを出せるなんて絶対できないことだからね、プロレスラーにならないと。あれはあれで、いい経験なんだろうなと思う。嫌は嫌だけど、普通の人がCDを出せることはないから、貴重な経験だったといまは思います。
――その延長線上にあった究極の初挑戦が、フルヌード写真集「B.Bomb」(1996年12月)ではないかと思います。豊田真奈美とオールヌードが直結する可能性が1%もない時代に、よくやったなぁと。
豊田 あのころ、写真集担当は(井上)貴子だったからね。
豊田真奈美が写真集を引き受けた理由
――どういう経緯だったんですか。
豊田 (大御所カメラマンの)長濱(治)さんだよね。写真家の人とは聞いてたけど、ぜんぜん知らなくて、最初は「食事に行こうよ」と言われて、何人かでね。お話をされて、「あー、そうなんだ」という感じで、その後も何回か、3、4回かな、食事の機会があって。ずーっと「やりません」って断ってたんだけど、あの手この手でいろんなお話をしてくるわけよ。
――決定打となった口説き文句はなんだったんですか。
豊田 えー、これはダメじゃないかなぁ。私が最終的になんでやったかっていうのは、書かないほうがいいんじゃないかな。
――NGならカットします。

