箱根駅伝PRESSBACK NUMBER
夏前は「こんなんで箱根は出られない」→55年ぶり箱根駅伝出場、立教大・上野裕一郎監督が明かすひと夏の変化「予選会も監督の指示通りです」
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph bySankei Shimbun
posted2022/10/18 17:06
55年ぶりの箱根駅伝出場を決めた立教大学。その裏には上野裕一郎監督就任をはじめとした周到な“5カ年計画”があった
ひさしぶりにうろたえてしまいました
「28位になった時、ヤバいと思って動揺を隠しきれなくて、ひさしぶりにうろたえてしまいました。前の日本人の集団と留学生がハイペースだったんで、そこにうちは誰もいなかった。10キロの地点でかなり絶望的になりましたね。中山凜斗(1年)、斎藤ぐらい前に押し込んでいける選手を育成していかないといけないことが明確になりました。そのためにはどうしたらいいのか、いろいろ考えて頭の中がぐちゃぐちゃです」
上野は落胆した表情でそう語っていた。
ラジニ(拓殖大)ら留学生と三浦龍司(順天堂大)、吉居大和(中央大)など日本人の高速ランナーたちのハイペースに立教の選手たちはついていけず、最高順位は中山の90位。100位内は中山だけで200位内も斎藤だけ。あとは200番、300番台という惨敗だった。ただ、中山が関東学生連合チームに選抜され、箱根4区を走ったのはチームにとっていい刺激になった。
勝ち取る気持ちがどうも薄くて…
3年目の予選会は16位だった。
スカウティングで入学してきた1年生、2年生が主力となり、4年生の斎藤を軸にチームが編成された。中心になったのは中山で「箱根を走るにはチームで出るしかない」という思いからチームを牽引した。予選会の目標順位は、15位以内に設定。その位置にいないと翌年以降、10位内に入ることが難しいからだ。上野の指導も1、2年目の寄り添うスタイルから、自主性を重んじつつ突き放すところを取り入れ、厳しさを見せていくようにした。だが、選手の意識までを変えていくのはなかなか難しかった。
「箱根は自分たちが走って勝ち取っていかないといけないのですが、どうもその気持ちが薄くて……。予選会もキロ3分ペースで21キロいくんだよっていう気持ちにならないとダメなんですが、実際はいけたらなぁって感じなんですよ。いかないと箱根には出られないよ、って夏合宿では追い込んだりしたんですが、まだチームの6名のトップ選手とそれ以外の選手との間に、意識や練習の取り組みの部分でかなり差がありました」