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欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
“元世代別日本代表”浦田樹はなぜクロアチアに? 日本、ブラジル、東欧を股にかけた独自のキャリアと「あるウクライナ人夫妻」への思い
posted2022/10/15 11:00
text by
長束恭行Yasuyuki Nagatsuka
photograph by
Siniša Sović / NK Varaždin
――浦田さんはジェフユナイテッドのご出身ですよね?
中学校からジェフのジュニアユースに加入し、2年生の頃まではずっと試合に出てなかったのですが、3年生の時に監督が代わってからどんどん上がっていき、そのままユース昇格しました。それからU-15日本代表にも選ばれて。ほんとに「急に来たな」って感じでしたね。
――いわゆる「東京五輪世代」ですよね?
ちょうどその世代ですね。18歳でジェフのトップチームへの昇格が決まり、練習に参加していました。ただし、その年も1カ月に1回ぐらいは代表活動があったので、もはや本当のチームがどっちかわからないぐらいの状態で。
――ポジションは昔から左サイドが専門なんですか?
いや、それこそ世代別日本代表では最初、中盤の選手で選ばれているんですよ。一番最初の監督は吉武(博文)さん。「吉武ジャパン」ってゼロトップじゃないですか。僕もゼロトップをやって、全然できなかったんですけど(苦笑)。
ブラジルでは三都主アレサンドロとチームメイトに
――中盤としての浦田さんの持ち味はどういうところだったんですか?
技術とキックですね。相手を見てプレーするとか、プレスを剥がすとか、当時のジュニアユースやユースの指導法がマッチしたというのもありました。
――当時はどのようなサッカープランを思い描いていたんですか? まずはジェフのトップチームに定着するとか?
元から海外志向は意外とあったんです。僕は日本生まれですが、兄はベルギー生まれ。父親が海外で働いていたこともあり、家庭は海外に対する免疫を持っていました。親と一緒にスペインに行った時に「海外でやりたいな」という意識が僕の中で強くなったんです。
――初めて海外に渡ったのがプロ1年目の19歳、行き先はブラジルですよね。きっかけは?
当時のジェフの強化部長が元ヴェルディの唐井(直)さんで、パラナ州1部のPSTCというクラブの強化部長が元ヴェルディの通訳だったんですよ。その繋がりで行きましたね。
――ご自身の希望もあって?
打診というか、「どう?」みたいな感じで聞かれまして。