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欧州サッカーPRESSBACK NUMBER
“元世代別日本代表”浦田樹はなぜクロアチアに? 日本、ブラジル、東欧を股にかけた独自のキャリアと「あるウクライナ人夫妻」への思い
text by
長束恭行Yasuyuki Nagatsuka
photograph bySiniša Sović / NK Varaždin
posted2022/10/15 11:00
クロアチア1部リーグのバラジディンに所属する25歳の浦田樹。インタビュー前編では、そのユニークな経歴について話を聞いた
――PSTCでは元日本代表の三都主アレサンドロがチームメイトかつルームメイトだったと聞いています。
当時38歳だったアレさんには「助けてもらってばかりだったな」という印象です。全寮制の宿舎もボロボロなんですよ。田舎だし、部屋に網戸もないし。アレさんと一緒に網戸を作るぐらいのレベルで。
――出場機会は?
公式戦は2試合ぐらいしか出ていないです。まともに通用しなかったというか。アレさんは中盤をやり、僕は左サイドバックでした。
誕生日に突然の電話「明日からトルコに行ってくれ」
――ブラジルでの4カ月を経て日本に戻られました。それからは?
琉球にレンタルで行きました。ジェフにはほぼいない状態ですね。琉球へのレンタル期間は3カ月ぐらいで、そこからギラヴァンツ北九州に再びレンタルで行って、その後の完全移籍を含めて2シーズン在籍しています。
――それから「再び海外に挑戦したい」という希望が再び芽生えてきたのですか?
いや、芽生えてきたというか、J3だったので正直なところ「ちょっと海外はないだろうな」という感覚だったんですよ。北九州が契約満了になったんで「どうしよう?」と思うも、新たなクラブはなかなか見つからなくて。それこそ22歳の誕生日を迎えた2019年1月29日、友人とご飯を食べていたら急にエージェントから電話がかかってきて「明日からトルコに行ってキャンプに参加してくれ」と言われまして。で、次の日に急遽、トルコに向かったんです。
――そのクラブがウクライナ1部のゾリャ・ルハーンシク。当時のウクライナリーグといえば、いつもUEFAランキング10位以内でしたよね。
しかもゾリャはヨーロッパリーグに何度も出ています。そこでのテストで調子がとても良く、「高く評価している」と言ってくれました。それなのに3日目で肉離れをしてしまい、「うわっ、マジで終わった。契約できない」と思いまして。でもテストが凄く良かったから「とりあえずケガを治して再び見たい」と言われ、そのままウクライナに渡りました。復帰してからはチーム練習で評価してもらい、本契約を結んだんです。
――ルハーンシクはロシアのウクライナ侵攻でもよく耳にする土地ですよね。
ゾリャはザポリージャという異なる地域を拠点にしています。原発で知られる街で僕も生活していました。あんまり英語が通じなかったんで、それが大変でしたね。チームメイトにブラジル人がいたので、彼とはポルトガル語でかなり仲良くしていました。