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19歳だった松井秀喜が30分遅刻した“落合博満との初対面”「それでも落合さんは怒らなかった」…東京ドームのお風呂で落合が松井に教えた野球論
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph bySankei Shimbun
posted2023/06/28 11:00
1993年12月、年俸4億円の2年契約で巨人入団を発表した落合博満。この後、松井秀喜との“師弟関係”が始まった
名人といわれたミズノの久保田五十一さんの手によるもので、遠心力でバットを鞭のようにしならせる工夫が存分に施されたものだった。
シルエットは全体に細め。グリップの細さが特に目立った。重心もヘッドが利くように先よりに置かれていた。バットの先が非常に重く感じられる構造のためコントロールが難しく、芯も非常に小さかった。
「でも、それからちょっとずつ僕も落合さんの形に変えていったんです」
松井も星稜高校時代から久保田名人にバットを作ってもらっていたこともあり、プロ入りと同時に松井モデルの製作を依頼するようになった。その原型が落合モデルだったのだ。
そうして落合と同じタイプのバットを使うことで、松井の打撃にも変化が生まれた。
「落合さんは“詰まってボールを上げる”ということをよく言っていた。詰まらせたほうがボールは上がるんだって。要は芯にバーンと当たっちゃうと、なかなか上にあがらないけど、詰まったらフワっという感じでボールが高く上がる。バットを細くすると、どうしてもスイートスポットは小さくなるので、若千詰まることがあるんです。でも確かにその方が逆にボールは上がる。その感覚というのは、あのバットにして分かるようになった」
松井は巨人を去る2002年まで落合モデルに近いバットを使ったが、メジャー移籍でより簡単なモデルヘと切り替えていった。
<後編では、“落合博満まさかの「(松井は)ヘタ」発言”について、松井の証言を紹介していく。>
《続く》
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