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19歳だった松井秀喜が30分遅刻した“落合博満との初対面”「それでも落合さんは怒らなかった」…東京ドームのお風呂で落合が松井に教えた野球論
posted2023/06/28 11:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
Sankei Shimbun
◆◆◆
「落合さんは本当に野球の話が大好きな人」
巨人からメジャーに挑戦した松井秀喜の「打撃の師」といえば、誰しも思い浮かべるのが巨人時代からの恩師でもある巨人軍終身名誉監督・長嶋茂雄のはずだ。
プロ入りから「4番育成1000日計画」をぶち上げて、マンツーマンでバッティングのすべてを伝授した。あるときは東京・田園調布のミスターの自宅で、またあるときは遠征先のホテルの一室で。来る日も来る日も松井はバットを振り、その素振りの音にミスターが耳を傾けた。
そうして球界を代表するスラッガーは、二人三脚で成長の足跡を刻んできたわけだ。松井にとってはこのミスターとの師弟関係こそ、連綿と築き上げてきた自分の打撃の土台となるもの。そのことはファンも含め、松井と長嶋を知るものにとり公然の事実だった。
ただ、長嶋監督とは別に、実はもう1人だけ、松井がその打撃理論に敬服しているバットマンがいることは、世間ではあまり知られていない。
そのバットマンこそ3度の三冠王に輝き、生涯打率3割1分1厘とONをしのぐ数字を残した落合博満だった。
落合が巨人に在籍した1994年からの3年間に、この2人は様々な機会に打撃に関する話を交わしている。というよりも、落合が松井に対して、バッティングや野球に関する様々な考えを聞かせ、その中で松井はエキスを吸い上げて育ってきた。
「落合さんは本当に野球の話が大好きな人。黙っていればいつまでだって話をしている。しかも、今まで色んな人の色んな打撃理論を聞く機会があったけど、理論的には一番納得できるというか、目指しているものが近いと感じた人でもある」
19歳だった松井秀喜は30分以上遅刻した
その隠れた師との出会いは、1993年、松井がプロ1年目のシーズンを終えた12月のことだった。