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サッカー日本代表PRESSBACK NUMBER
「やんちゃでした」“異色の経歴”日本代表・前田大然24歳、高校サッカー部から1年間除籍されていた「地元のパン屋でバイトして…」
text by
栗原正夫Masao Kurihara
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/07/24 11:04
2016年、山梨学院高から松本山雅入りした前田大然(写真は16年シーズン)。じつは高校時代にサッカー部から除籍されていた1年間があった
「朝練は学校の近くに山があって、サッカー部で走る道があったので、そこを走って登ったり。グラウンドの周りを走ることもありました」
ただ、未来あるサッカー選手のキャリアを思えば、大事な高校時代にボールを使った練習が長期間できないことは痛手になり兼ねない。半年が経った高2の秋頃からは前田の真摯に取り組む様子もあってか、除籍を命じた吉永一明監督(当時、現アルビレックス新潟シンガポール監督)から救いの手が差し伸べられた。サッカー部への復帰が前提では決してなかったが、地元の社会人チームを紹介され、週2回ほど夜間にボールを使った練習に参加できるようになり、週末には試合にも参加した。
「カレーパンを揚げていました」
「ボールを使った練習は限られていたので、社会人チームに参加させてもらえたのはありがたかったです。
それとその頃から朝は、地元のパン屋でバイトをするようになって。学校に行く前、朝5時には起きて5時半には着くように自転車で通っていました。パン屋のバイトといっても、“塗ったり焼いたり”簡単な手伝いみたいな感じですけど。そのバイトは監督とかの紹介で、夜遊びにいかないようにって心配されていたんでしょう」
いまでは日本代表のユニフォームを着る前田だが、高校時代は登校前に油の張られたフライヤーで、カレーパンを揚げていたというから驚く。
「カレーパンを揚げるときって菜箸でひっくり返すんですが、中がちょっと空洞なので強く触ると穴が空いてしまうんです。だから、触わるか触らないかぐらいの感じで優しく返さなきゃいけない。最初は穴を空けたり、失敗を繰り返しました。そのパン屋さんでも親切にしてもらって。
心配なのは、このシーズンオフにパン屋さんに行ったら、やってなくて。というか、お店がクルマ屋に変わってしまっていたんです。電話してみてもつながらなかったので、いまどうされているのか気になっていて。こういう記事を見てもらって、少しでも喜んでもらえるといいのですが……」
高校時代のあだ名は「プリウス」だった
除籍から約1年を経た、ある日。吉永監督、また他の部員の賛同も得て、前田は部に戻ることが許された。
「誰とどんな感じで話したか具体的には覚えていませんが、〇月〇日から復帰していいという風に言われて。それでも最初からみんなと一緒に練習できたわけではなく、グラウンドのゴムチップを拾ったりして、全体練習後にボールを蹴るみたいな。もう1人、自分と一緒に除籍になっていた同級生がいたので、しばらくは2人でいろんなメニューを組んだり、徐々に全体練習に合流していくような感じでした」