“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
白血病を乗り越えて最愛の人と結婚式…J新潟DF早川史哉(28)の妻・真優さんが語る壮絶な道のりと今「どんなことがあっても彼を支える」
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byFumiya&Mayu Hayakawa
posted2022/06/27 06:00
J2アルビレックス新潟DF早川史哉と妻・真優の結婚式の様子。たくさんの仲間たちから祝福を受けた
早川は体調がすぐれない中でもJ1開幕戦の湘南ベルマーレ戦でスタメンフル出場を飾り、そこから3試合連続で試合に出続けた。スタンドで観戦した真優さんは「少し遠い世界に行ってしまったな」と嬉しさを抱く反面、一抹の不安を感じ始める。
世間はゴールデンウィークの連休に突入した頃、早川から真優さんに電話があった。
「俺、検査入院することになったわ」
第3節の横浜F・マリノス戦以降、ベンチを温めるようになった早川は徐々に体の症状を訴えるようになる。連絡を聞きつけた真優さんは新潟の病院に直行。そこにはぐったりとした様子でベッドに横たわる早川の姿があった。病室では暗い雰囲気にならないように必死で明るく振る舞ったものの、病室を後にすると涙が止まらなかった。
連休が終わり、真優さんは一度茨城に戻った。そして陸上部の栄養サポートとして大会に同行していた帰り道、早川から再び電話が。
「真優、俺、白血病だってさ」
周りには陸上部の部員たちを含めてたくさんの人がいた。それでも涙を止められなかった。電話口で泣きじゃくる彼女に対し、早川は落ち着いた口調で語りかけた。
「大丈夫だよ、必ず治すし、治ったら絶対に復帰するんだから」
一番辛いはずの彼から慰めてもらっている自分がいる。
「どんなことがあっても彼を支える」
彼女の決意は固まった。
「どう立ち振る舞えばいいか悩んだ時もあった」
休学して新潟に行くことも本気で考えたが、「そんなことはしなくてもいい。真優は真優自身のために時間を使って欲しい」と早川にはっきりと返答された。
「もちろん一番そばにいてあげたかったけど、本人は『絶対に治してピッチに戻る』と言っていたので、復帰したときにちゃんと支えてあげられるように今自分ができることを大学院で頑張ろうと思いました。そこから努力する意義は大きく変わりました」
平日は大学院と陸上部のサポート。土日は新潟で早川を看病するという生活が始まった。電話越しで涙を流した真優さんだったが、この時には「どんな時も彼の前では明るく振る舞い、泣く時は一人」と心に決めていた。
「当時はまだ『彼女』『付き合っている人』だったので、どのように立ち振る舞えばいいか悩んだ時もありました。でも、史哉や彼の家族が私を本物の家族のように包み込んでくれたからこそ、一緒に病魔と闘うことができたと思います」
その生活は大学院を修了するまで続いた。抗がん剤の副作用に苦しむ姿や、あれだけストイックだった早川がこれまで手を一切出さなかったお菓子や揚げ物を欲し、無心で食べ続けている姿も目の当たりにした。
「史哉はかなり意志が強くて、何でもできる人だと思っていました。でも、病気をきっかけに弱い部分が見えた。人間味が見えたんです。そこから彼を理解しやすくなったし、そういうことなら私はこういう風にしたいな、こういうことができるなということがわかって、史哉に対して私がどういう風にいたら一緒に前に進めるのかということがわかってきたんです」
苦しい日々でもあった。でも、そのおかげで絆が深まっていくことも実感していった。