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高卒→ドイツ移籍…18歳DFチェイス・アンリのアドバンテージとは? 日本語を話せなかった少年が6年間で遂げた成長
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2022/04/15 11:04
ブンデスリーガのシュツットガルトへの加入を発表したDFチェイス・アンリ。尚志高校での会見に出席し、まずはU-21チームでのプレーとなることを報告した
神奈川県横須賀市で生まれたアンリは、3歳まで日本で過ごすと、その後は小学校卒業までの9年間をアメリカ・テキサス州で過ごした。当時から元軍人である父レジナルドさん譲りの屈強なフィジカルを備えていた彼は、バスケットボールや水泳、野球などさまざまな競技に打ち込んできた。複数のスポーツを楽しみながら経験したことで、身体操作や空間把握の能力が自然と身についていった。
サッカーに本格的に取り組んだのは、家族と共に来日した中学の頃。部活の選択を迫られたアンリは「一番楽しかった」というサッカーを選んだ。
ただ、当時は日本語がほとんど話せず、何より周りの選手とのレベルの差に戸惑った。
「入学当初はみんなうまくて、僕が一番下手だった。でも、サッカーがうまくなりたいという気持ちは日に日に強まっていきました」
母の恵美さんからすれば、言語や文化の違いなどで心配することも多かったはずだ。ただ、「基本的に人が好きで、積極的に会話していたし、徐々に日常会話もできるようになって楽しそうにやってくれていた」と息子の順応性の高さを頼もしく感じ、優しく見守り続けたという。
日本語が上達した尚志での3年間
持ち前の明るさで日本語と共にサッカーの技術もメキメキと上達したアンリのポテンシャルの高さは話題を集め、いち早く強豪校・尚志への進学を決めた。
親元を離れ、単身で福島に行ったアンリは、入学直後に「ホームシックにかかった」と振り返るが、寮生活を通じてコミュニケーション能力が向上。日常会話のメインは今も英語だが、第二言語として日本語を不自由なく駆使できるまでに成長した。
つまり、アンリはすでに「異国の地での適応」を経験済みというわけだ。生まれ故郷とはいえ、言語も文化も異なる中で成長する術を知っている。