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ユベントス留学から帰国した中田英寿の“変貌”…岩本輝雄がベルマーレを去った理由と、仙台での復活「ベガルタで引退したかった」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/04/08 17:03
高卒ルーキーながらすぐにチームの中心選手としてプレーした中田英寿。岩本はユベントスへの短期留学が中田を変えたと当時を振り返る
2001年シーズン、岩本はいきなりの大活躍を見せる。エースストライカーのマルコスとホットラインを築いてアシストを連発。34試合に出場し、5ゴールをマークする。
この年、ベガルタはJ2で2位となり、初のJ1昇格を成し遂げる。その立役者が岩本だったのは言うまでもない。
岩本の活躍の陰には、清水のマネジメントがあった。
「清水さんは長所を潰してまで、その選手が苦手なことをやらせようとする監督じゃないんだよね。俺だったら守備2、アタック8くらいでプレーさせてくれる。その代わりボランチに(守備力の高い)ポイチさん(森保一)を起用してバランスを取る。あと、選手とよくコミュニケーションを取るんだよね。マッサージルームに来て、ずっとくだらない話をしているんだけど、選手の体調がどうなのか、メンタルがどうなのか、観察してるんだ」
無所属だった岩本が練習試合に参加したときもそうだった。
試合後に清水と蕎麦屋を訪れると、清水は「テル、調子はどうなんだ?」と話しかけながら、やたらとスキンシップを取ってきた。
「俺の体をなにげなく触ってくるわけ。ああ、この人、俺の筋肉を触っているんだなって。俺が本当に練習しているのか確認していたんだよ」
「本当はベガルタで引退したかった」
J2で1年、J1で2年。ベガルタで計3シーズンプレーしたのち、岩本は好条件のオファーをくれた名古屋グランパスへと移籍する。
「最後はJ2に落ちてしまったし、清水さんが途中解任されてしまったからね。でも、本当はベガルタで引退したかった。ベガルタで復活させてもらったから。サポーターのことも好きだった。俺が加入したとき、彼らはわざわざ練習場に来て、『どんな歌がいい?』って聞いてくれたんだよ。街との相性も良かったし、こんないいところがあるんだなって」
杜の都で完全復活を果たした岩本は2004年、補強の目玉として東海の雄に迎え入れられた。しかし、その左足がベガルタ時代のように輝くことはなかった。5月の試合中に右足首を傷め、靭帯を断裂してしまうのだ。
今度のケガは選手生命を脅かすものだった。
「ああ、俺、終わったなって。10月に手術して、12月にも手術したけれど、痛みは全然取れなかったから」
この年限りで名古屋退団が発表され、岩本は再び無所属となった。
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