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ユベントス留学から帰国した中田英寿の“変貌”…岩本輝雄がベルマーレを去った理由と、仙台での復活「ベガルタで引退したかった」
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byJ.LEAGUE
posted2022/04/08 17:03
高卒ルーキーながらすぐにチームの中心選手としてプレーした中田英寿。岩本はユベントスへの短期留学が中田を変えたと当時を振り返る
99年シーズンを戦う新天地は、創設されたばかりのJ2に参戦する川崎フロンターレ。J1昇格を目指すチームでの新しいチャレンジだったが、のっけから意気込みが空回りする。
「キャンプで体を締めよう、締めようと思って炭水化物ばかり摂って、タンパク質を摂らなかった。そうしたら走れるんだけど、全然パワーが出なくて、パフォーマンスが全然上がらなかった。食事もトレーニングもバランスが大事ってことだよね」
京都時代のGMでソリが合わなかった松本育夫がシーズン途中に川崎の監督に就任したことも、岩本にとってマイナスに働いた。「守備をしない」という理由で岩本の仕事場はトップ下からベンチへ、さらにベンチ外となり、完全に出場機会を失ってしまうのだ。
「紅白戦でも俺を外して、コーチを出すんだよ。だから、コンディションを上げようと、ゴール裏68メートルを30分ハーフの間、ずっとダッシュしていた。10月くらいには紅白戦に出られるようになって。『大分(トリニータ)のウィル役をやれ』って。でも、Bチームのほうが強かったからね。Aチームを5−0で倒したりして」
1年でフロンターレを去ることになった岩本は2000年シーズン、同じ街のクラブであるヴェルディ川崎に移籍する。ヴェルディとの練習試合で活躍したため、総監督の李国秀から声がかかったのだ。
「アデレードキャンプまではすごく良かったんだけどね。『アプローチ! アプローチ!』ばっかり言われて、何がアプローチなのかよくわからなかった(苦笑)。当時は戦術とか守備とか何もわかってなかったし、生意気だったから、自分にも問題はあるんだけどさ」
ヴェルディでは1年どころか半年すらもたなかった。
2000年5月に退団が決定。夏のスペインリーグ移籍を目指し、コンディション維持のために約1カ月の予定でブラジルに飛んだ。かつてグアラニに短期留学した際に世話になった代理人が、まだブラジルにいたからだ。
ところが、今度はわずか数日で日本に舞い戻ることになる。
「拉致されたのかと思ったじゃないか!」
「練習には参加できたんだけど、なぜか6月からの半年契約を結ばされそうになって、『いやいや、聞いてねえし』って。いよいよ明日契約っていう話になったから、その夜の飛行機に飛び乗って勝手に帰って来たの。スパイクとかも全部置いてきた。あとで代理人に怒られたよ。急にいなくなったものだから、『拉致されたのかと思ったじゃないか!』って(苦笑)」
8月に予定されていたスペインのマラガへの練習参加も、監督交代によって流れてしまい、岩本は地元・横浜で自主トレーニングに励むことにした。
「一からやり直そうと思って、月曜から木曜まで鬼のように走ったよ。李さんのテクニックの練習は良かったから、それにブラジルのフィジカルの練習を混ぜて、ガンガンやって。最初は友だち3人くらいでやっていて、人数がだんだん増えていって」
しばらく無職だった岩本にチャンスがめぐってくるのは10月のことである。京都時代の恩師、清水秀彦が指揮を執るJ2のベガルタ仙台に練習参加できることになったのだ。
「『清水さん、ちょっと見てよ』と頼んで。それで練習試合に出場させてもらったら、そこでいいプレーができて、清水さんが『うちで真面目にやらねえか』って。スペインリーグのはずがJ2か……と思ったけれど、『年俸は安いけど、活躍したら移籍していいぞ』って言うから」
だから、最初は腰掛けのつもりだった。それが、こんなにもベガルタと仙台の街を愛することになるとは、岩本自身も思いもしなかった。