康生君が選手で、私がコーチだったとき、海外遠征で、彼のパスポートが見当たらなくなっちゃったことがあったのね。誰かのカバンに間違えて入れちゃったみたいで、みんなでカバンの中を探したの。そうしたら、山下先生のカバンに入っていて。よりによって……。いやいや、同じ間違えるのでも、そこは間違えないでしょう、というね。

――おもしろいですね。でも、山口さんの話を聞いていると、日本柔道界を立て直した歴史的な名監督とは、にわかに信じられなくなってきてしまうところもあるのですが……。

山口　でも彼は勝負師でもあるから。勝つ人間と、そうでない人間の差はね、妥協しないかしちゃうかなのよ。私なんて、すぐ「まいっか」って思っちゃう。だけど、康生君は「まいっか」とは思えないタイプ。

「人を惹きつけるものを持ってる」

――康生さんは全階級の対戦相手の分析をしていたらしく、今、全日本のコーチをしている海老沼さんが「いつ寝てたのかなと思いましたね」と話していました。

山口　好きなんだろうね。柔道も、勝負も、選手のことも。私は選手のために、そこまでしてやろうとは思わないかな。

――それにしても、東京五輪で、女子柔道も男子柔道とほぼ遜色のない結果を出しているのに、女子代表の増地克之監督は、康生さんの影に隠れてしまった感じがありますね。

山口　そうね。世の中は、日本柔道の監督は井上康生しかいないと思ってるから。ほんと、そういう人を惹きつけるものを持ってる子ですね。「子」なんて言ったら失礼だけど。

#5に続く

「コーチとしての康生さんに幻滅したこともありました」鈴木桂治（現・男子代表監督）に井上康生が明かした“ロンドン五輪の後悔”

記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。