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殴る、殴る、ひたすら殴る… 伝説のドン・フライvs高山善廣から20年、「頬骨が軋む音」を聞いたカメラマンの証言《本人コメントも》
posted2022/06/03 17:03
text by
長尾迪Susumu Nagao
photograph by
Susumu Nagao
2002年6月23日の『PRIDE.21』で行われたドン・フライと高山善廣の一戦は、20年の時が経ったいまでも、伝説の試合として語り継がれている。あの日、我々が目にしたものは、技術を超越した魂のぶつかり合いであり、漢の決闘であった。数多くの名勝負を撮影している私にとっても、このファイトは別格である。
フライは1996年2月の『UFC.8』でMMAデビュー。当時のUFCは8人によるワンデイトーナメントだったが、見事に優勝を果たした。私は試合後、フライと話をした。彼は現役の消防士で、プロボクシングの経験もあるという。UFCにはダン・スバーンの紹介で、腕試しとしてチャレンジしたそうだ。その後もMMAの試合を続け、11勝1敗の好成績を残したまま、プロレスのリングへ。1998年にはアントニオ猪木の引退試合の相手も務めた。PRIDEには2001年から参戦した。
一方の高山は大学卒業後、サラリーマンとして働いていたが、一度は諦めたプロレスラーになる夢を実現するため退職。1991年、旗揚げしたばかりのUWFインターナショナルに新弟子として入団した。その後は所属団体の解散などもあり、フリーとなる。身長196cm、体重125kgと日本人離れした体格の大型レスラーは引く手あまただった。2001年に藤田和之を相手にPRIDEで試合をしたが、デビュー戦がメインイベントという、破格の待遇だった。
試合直前のオファーを快諾した高山
のちに「PRIDE史上に残るベストバウト」と称される両者の一戦だが、当初、フライの対戦相手はマーク・コールマンだった。試合の約1週間前にコールマンの欠場が発表され、高山が急遽その代役として出場することになったのだ。もちろん彼にMMAの練習をする準備期間などはなかった。それでも「いつ何時、誰の挑戦でも受ける」というプロレスラーの矜持を持っていたからこそ、高山はこのオファーを受けたのではないかと私は思う。