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ロナウドはオモチャに歓喜、モドリッチはすすり泣き、シェフチェンコは「勝った」と叫んだ…バロンドーラー“初めての”受賞秘話
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フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/10/21 06:00
シェフチェンコ、ロナウド、メッシ…バロンドールは数々のスター選手が欲してやまない栄誉ある賞だ
2019年11月15日、夜7時にさしかかるころ……。あと1時間で投票が締め切られるというときに、リオネル・メッシ(当時バルセロナ)は総得票で1点ビルフィル・ファンダイク(リバプール)に後れを取っていた。編集長室でパスカル・フェレは震えが止まらなかった。集計前の票がふたつ残っており、そのどちらもメッシを1位に記していた。メッシに結果を知らせるためにフェレが電話を掛けるのは、彼の最後の受賞から実に4年ぶりのことだった。受話器の向こうでメッシは、「ずっと獲得できなかったよ」としみじみ語った後で、躊躇いがちにこう尋ねた。
「本当に僕ですか。集計は終わったのですか?」と。
モドリッチのすすり泣き
2018年のルカ・モドリッチ(レアル・マドリー)も同じだった。圧倒的な得票で勝利を得た結果を知らせる電話をパスカル・フェレがかけた際に、モドリッチが最初に口にしたのは「本当に勝ったのですか?」という言葉だった。それはヨーロッパ・ネーションズリーグのイングランド対クロアチア戦が行われた翌日で、フランスの電話番号を示す数字が携帯に表示されたとき、パニックに陥った彼ははじめ電話に出ることができなかった。フェレの言葉を聞いた後も信じられず、「本当に僕なんですか?」と何度も繰り返した。受話器の向こうで彼はすすり泣いていた。
涙はしばしば受賞に華を添える。2013年にクリスティアーノ・ロナウドがチューリッヒで流した涙は、テレビ画面を通して全世界の視聴者に伝えられた。当時はFIFAバロンドールの時代で、受賞者とFF誌編集部との距離はそれまでのように緊密ではなかった。ロナウドに最初の受賞(2008年。マンチェスター・ユナイテッド)を伝えたのはジャンミッシェル・ブロッシャンだった。ブロッシャンが当時を振り返る。
「マンチェスターの彼の家に行って話をした。すでにジョルジュ・メンデスが伝えていて、ロナウドは抱きつかんばかりに僕らを歓迎してくれた。料理人がもの凄く豪華な食事を用意していた。家の隅々まで案内したロナウドは、地下の映写室で彼がこれまでにあげたすべてのゴールを収めたビデオを僕らに見せた。そのとき彼に手渡したのは、本物のバロンドールトロフィーではなく(本物は数日後にテレビ番組内で授与された)、彼は少し驚いていた。僕らが持っていったのはプラスチック製の小さなレプリカで、玩具のようなものだった。彼は僕らにこういった。
『これなら僕ももっと大きなものを持っている。でも大したことじゃない』と」