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ロナウドはオモチャに歓喜、モドリッチはすすり泣き、シェフチェンコは「勝った」と叫んだ…バロンドーラー“初めての”受賞秘話
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph byL’Équipe
posted2021/10/21 06:00
シェフチェンコ、ロナウド、メッシ…バロンドールは数々のスター選手が欲してやまない栄誉ある賞だ
しばしば友人のジャーナリストが本人以外に秘密を漏らすこともあった。オレグ・ブロヒン(1975年。ディナモ・キエフ)の場合、タス通信からの電話を受けた母親が感極まって涙を流した。フロリアン・アルバート(1967年。フィレンツバローシュ・ブダペスト)にとっては、これ以上はないクリスマスプレゼントとなった。彼はこう語っている。
「クリスマスの夜に電話がかかってきて妻が対応した。友人のジャーナリストからで、彼は彼女にこう言った。『私が話しているのはヨーロッパ最優秀選手の奥さんですか?』と。それですべてがわかった。忘れられないクリスマスになった」
とはいえヨーロッパ最優秀選手(1994年以前)や世界最優秀選手(1995年以降)の告知には、それなりの手順を要する。筆者が思い出深いのは、当時の編集長だったドニ・ショウミエが、リオネル・メッシの自宅まで出向いて受賞を正式に伝えた2009年のことである。メッシが第一報を聞いたのはその数時間前だった。私を含め数人の記者たちが待ち構えるなか、ショウミエはメッシの受賞を伝える刷り上がったばかりのFF誌を携えてカステルデフェルスの彼の自宅にやって来た。震え気味ながらも威厳に満ちた声でショウミエはメッシに語りかけ、メッシも跪かんばかりに畏まって彼の言葉を聞いた。
受賞の言葉は厳かに
1998年にジネディーヌ・ジダンが生涯唯一のバロンドールを獲得した際に、親密な関係にあったパトリック・デソー(註:デソーはフランスメディアでジダンと最も親しかった)が気軽な調子で受賞を伝えたときに、ジダンが求めたのも厳格な手順だった。
「伝え聞いた瞬間のことは、まるで昨日のことのように鮮明に覚えている」と、ジダンは数年後にデソーに語っている。
「絶対に忘れられない類のものであるのに、あなたは私に『やったね。君だよ』とだけ言った。だからもっと別の言葉――フォーマルな言葉で言い直して欲しいとあなたに求めた。ありきたりの言葉で済ませてしまうことではない。あなたもちゃんとした言葉で言い直してくれた。嬉しかったよ」