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ロナウドはオモチャに歓喜、モドリッチはすすり泣き、シェフチェンコは「勝った」と叫んだ…バロンドーラー“初めての”受賞秘話
posted2021/10/21 06:00
text by
フランス・フットボール誌France Football
photograph by
L’Équipe
コロナ禍により昨年は史上初めて選出が中止となったバロンドールの2021年候補者リストが、『フランス・フットボール』誌10月号で発表された。投票の締め切りは10月24日であるから、皆さんがこの原稿を読まれているころには集計もほぼ済んでいるかも知れない。ちなみに筆者(田村)はまだ投票を済ませていない。もう少しじっくり考えてから決めようと思っている。
FF誌は月刊化してから常時バロンドールに関する記事を掲載している。週刊誌時代にはなかったことで、これもまたひとつの大きな変化といえる。同誌6月号でティエリー・マルシャン記者が取り上げているのは、受賞者への告知秘話である。
受賞者は誰もが勝利を告知された瞬間を覚えている。そして誰が彼にそれを告げたかも。そこからさまざまなエピソードが生まれた。牧歌的な時代から、徹底した情報管理の時代へ。編集部の誰もが事前に結果を知っていた時代から、編集長と票の集計担当、庶務の女性以外は編集部内でもすべて秘密裏になった時代へ。だが、告知された瞬間の受賞者の(本当に自分なのかという)不安と驚き、感慨は、いつの時代も変わらないのだった。
(田村修一)
黒豹がラジオで聞いた受賞の知らせ
1965年12月のある日、リスボンの空は晴れ渡っていた。ポルトガルで最も風光明媚な海岸のひとつが広がるカスカイスへと向かう道のりを、エウゼビオ・ダ・シルバ・フェレイラ(ベンフィカ)は妻とともにドライブしていた。そのとき彼が突然ラジオから耳にしたのは、ファドの調べとはまったく異なるものだった。ラジオの声は、彼がFF誌選出の第10回バロンドールに選ばれたことを伝えていた。
「車を傍らに止めて、妻と抱き合って喜んだ」と、エウゼビオは受賞インタビューで答えている。
「すぐに家に引き返して、正式な知らせが来るのを待った。じりじりした時間が続き、夜のニュース番組で本当に受賞したとようやく確認できた」
インターネットもSNSもない時代のこのエピソードは、今日から見ればまるで石器時代の感すらある。だが、普及しはじめていたテレビは、リビングルームの中央に鎮座する豪華な家具だった。受賞者の多くは、自国のFF誌通信員の口から知らされるのがほとんどだった。ルイス・スアレス(1960年受賞。FCバルセロナ)はアンドレス・メルセバレラから電話で伝えられ、カールハインツ・ルンメニゲの2度目の受賞(1981年。バイエルン)の知らせは、遠征先のモンテビデオでハンス・ブリッケンドルファーからもたらされた。