04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした / photograph by BUNGEISHUNJU 2007年ドラ1指名の山内壮馬投手(名城大)と握手する中田宗男スカウト部長(当時)。山内が手にするのは落合のサインが入ったドラフト指名用紙 ©KYODO 中日二軍の本拠地、ナゴヤ球場(2012年撮影) ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋) (書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) 2007年の日本シリーズ第5戦。運命の9回、投球練習に入る岩瀬 ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ロッテ時代の落合。1978年のドラフト3位で入団し、86年まで在籍した ©BUNGEISHUNJU 87年のシーズンから中日へ。年俸は9700万円から1億3000万円にアップして日本人初の年俸1億円プレーヤーに ©BUNGEISHUNJU 96年オリックスとの日本シリーズで。松井秀喜とのツーショット。同シリーズは4勝1敗でオリックスが制した ©BUNGEISHUNJU 1985年、当時1億5000万円と報じられた豪邸前で信子夫人と ©BUNGEISHUNJU 1985年、江夏豊の引退式で ©BUNGEISHUNJU 1985年、ランディ・バースとのツーショット ©BUNGEISHUNJU 星野仙一さんとの対談で(1985年撮影) 自宅でヨコになって寛ぐ(1987年撮影) ©BUNGEISHUNJU 1987年のシーズン、ロッテから中日へ移籍した落合博満 ©BUNGEISHUNJU “消えた完全試合”の後、捕手・谷繫と喜びを分かち合う山井 ©BUNGEISHUNJU 中日時代(1987~93年まで在籍) ©BUNGEISHUNJU 中日時代(1987~93年まで在籍) ©BUNGEISHUNJU 1990年のオールスターで西武時代の清原和博とのツーショット ©BUNGEISHUNJU 53年ぶりの日本シリーズ制覇。ビールかけにゴーグルをつけて参加した落合博満 ©BUNGEISHUNJU 2007年日本シリーズに敗れ、呆然とするダルビッシュ有 ©BUNGEISHUNJU 53年ぶりの日本シリーズ制覇、宙を舞う落合博満 ©BUNGEISHUNJU 継投に成功した岩瀬仁紀に駆け寄るナイン ©BUNGEISHUNJU 9回、パーフェクトだった山井→岩瀬への交代を伝える落合 ©BUNGEISHUNJU 継投に成功し飛び上がって喜ぶ岩瀬 ©BUNGEISHUNJU 1998年のドラフト、NTT東海から逆指名し2位で中日入りした岩瀬仁紀 ©BUNGEISHUNJU 1985年、86年と2年連続で三冠王に輝いたバースと落合(写真は85年撮影) ©BUNGEISHUNJU 1988年、ドラフト1位指名で中日に入団した今中慎二(大阪桐蔭高)。父親の正夫さん(前列の左)やスカウトの中田宗男らに祝福される ©KYODO 今中は5年目(1993年)に最多勝(17勝)、沢村賞投手になった ©BUNGEISHUNJU 1978年のロッテ新入団選手発表。左から江本裕人(米沢商)、山内一弘監督、落合博満(東芝府中) ©Sankei Shimbun 東海大相模高時代の大田泰示(現・日本ハム)。2008年ドラフトで巨人、ホークスから1位指名を受け、抽選の結果、巨人が交渉権を獲得した ©Sankei Shimbun 写真は2008年12月、中日の新入団発表。新人選手への期待を語る落合監督。右がドラフト1位指名された野本圭 ©KYODO

2007年ドラ1指名の山内壮馬投手(名城大)と握手する中田宗男スカウト部長(当時)。山内が手にするのは落合のサインが入ったドラフト指名用紙 ©KYODO

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04年から11年まで中日の監督を務めた落合博満。すべての年でAクラス入り、セ・リーグ優勝4回、日本シリーズ優勝1回を果たした / photograph by BUNGEISHUNJU 2007年ドラ1指名の山内壮馬投手(名城大)と握手する中田宗男スカウト部長(当時)。山内が手にするのは落合のサインが入ったドラフト指名用紙 ©KYODO 中日二軍の本拠地、ナゴヤ球場(2012年撮影) ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』(文藝春秋) (書影をクリックするとAmazonのサイトにジャンプします) 2007年の日本シリーズ第5戦。運命の9回、投球練習に入る岩瀬 ©BUNGEISHUNJU ©BUNGEISHUNJU ロッテ時代の落合。1978年のドラフト3位で入団し、86年まで在籍した ©BUNGEISHUNJU 87年のシーズンから中日へ。年俸は9700万円から1億3000万円にアップして日本人初の年俸1億円プレーヤーに ©BUNGEISHUNJU 96年オリックスとの日本シリーズで。松井秀喜とのツーショット。同シリーズは4勝1敗でオリックスが制した ©BUNGEISHUNJU 1985年、当時1億5000万円と報じられた豪邸前で信子夫人と ©BUNGEISHUNJU 1985年、江夏豊の引退式で ©BUNGEISHUNJU 1985年、ランディ・バースとのツーショット ©BUNGEISHUNJU 星野仙一さんとの対談で(1985年撮影) 自宅でヨコになって寛ぐ(1987年撮影) ©BUNGEISHUNJU 1987年のシーズン、ロッテから中日へ移籍した落合博満 ©BUNGEISHUNJU “消えた完全試合”の後、捕手・谷繫と喜びを分かち合う山井 ©BUNGEISHUNJU 中日時代(1987~93年まで在籍) ©BUNGEISHUNJU 中日時代(1987~93年まで在籍) ©BUNGEISHUNJU 1990年のオールスターで西武時代の清原和博とのツーショット ©BUNGEISHUNJU 53年ぶりの日本シリーズ制覇。ビールかけにゴーグルをつけて参加した落合博満 ©BUNGEISHUNJU 2007年日本シリーズに敗れ、呆然とするダルビッシュ有 ©BUNGEISHUNJU 53年ぶりの日本シリーズ制覇、宙を舞う落合博満 ©BUNGEISHUNJU 継投に成功した岩瀬仁紀に駆け寄るナイン ©BUNGEISHUNJU 9回、パーフェクトだった山井→岩瀬への交代を伝える落合 ©BUNGEISHUNJU 継投に成功し飛び上がって喜ぶ岩瀬 ©BUNGEISHUNJU 1998年のドラフト、NTT東海から逆指名し2位で中日入りした岩瀬仁紀 ©BUNGEISHUNJU 1985年、86年と2年連続で三冠王に輝いたバースと落合(写真は85年撮影) ©BUNGEISHUNJU 1988年、ドラフト1位指名で中日に入団した今中慎二(大阪桐蔭高)。父親の正夫さん(前列の左)やスカウトの中田宗男らに祝福される ©KYODO 今中は5年目(1993年)に最多勝(17勝)、沢村賞投手になった ©BUNGEISHUNJU 1978年のロッテ新入団選手発表。左から江本裕人(米沢商)、山内一弘監督、落合博満(東芝府中) ©Sankei Shimbun 東海大相模高時代の大田泰示(現・日本ハム)。2008年ドラフトで巨人、ホークスから1位指名を受け、抽選の結果、巨人が交渉権を獲得した ©Sankei Shimbun 写真は2008年12月、中日の新入団発表。新人選手への期待を語る落合監督。右がドラフト1位指名された野本圭 ©KYODO

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