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「何でもやります」大野は先発準備をしながら毎試合リリーフ待機、青柳、山崎も出番が分からないまま黙々と肩を作り続け…侍ジャパンリリーフ陣秘話
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byMasaki Fujioka/JMPA
posted2021/08/13 11:03
先発の準備をしながら、リリーフ待機で肩を作り続けた大野雄大。実際に投げたのは5試合で1イニングだけだった
いずれにしてもベンチの意図が迅速には伝わりにくい体制にあったことは間違いなかったために、リリーフ陣は次々と準備をしなければならなかった。
稲葉監督の誕生日に「ハッピーバースデー」を熱唱した青柳
青柳は稲葉監督の誕生日には「ハッピーバースデー」を熱唱し、チームの盛り上げ役として貢献。もちろん打たれたという結果は結果だが、打たれて「力不足を痛感している」と肩を落とした背景には、そういう事情もあったことも記しておきたい。
明確に起用法が確立されていたのは、クローザーが決まっていた広島・栗林良吏投手だけだった。他の投手は早い段階から肩を作り、次か次かと出番を待つような状況になっていた。
先発からリリーフとして起用された伊藤も不慣れな回跨ぎをこなし、接戦続きにタイブレーク要員となった西武・平良海馬投手は、あるのかないのかわからない延長戦のためにブルペンで何度、肩を作ったことだろうか。特にリリーフ陣でもユーティリティー的な起用が予定されていた山崎などは、試合中に5度も6度も肩作りをしていたと聞く。
山崎は19年のプレミア12では守護神として世界一に貢献。しかしこの2年はチームでの成績が振るわず、代表選考では様々な声もあった。しかし若いリリーフ陣の中で、出番も分からない中で黙々と肩を作る。こういう投手がいたからブルペンがまとまり勝てたのだとも思う。
「どんなポジションでもやらせていただくとして、僕もブルペンで、任された部分で自分の力を発揮しようという大会だった。昨年、本当に苦しい思いをしてから1年、メンバーとして金メダルを獲れて本当に嬉しく思います」
この山崎の言葉が侍ジャパンの強さの1つの象徴だった。
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