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「何でもやります」大野は先発準備をしながら毎試合リリーフ待機、青柳、山崎も出番が分からないまま黙々と肩を作り続け…侍ジャパンリリーフ陣秘話
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byMasaki Fujioka/JMPA
posted2021/08/13 11:03
先発の準備をしながら、リリーフ待機で肩を作り続けた大野雄大。実際に投げたのは5試合で1イニングだけだった
「あそこで左が続くようだったら大野の起用も考えていた」
同点の7回から3番手で日本ハム・伊藤大海投手を投入した場面を振り返った稲葉監督の言葉だ。結果的にはこの試合での登板はなかったが、それでもブルペンに入って肩作りはしていつでもいけるようにスタンバイはしていた。
大野が実際に投げたのは米国戦の1イニングだけ
そしてこの東京五輪で大野がマウンドに上がったのは、あの米国戦の9回1イニングだけだった。
結果的には5戦全勝で負けなしの優勝だったが、7月28日のドミニカ共和国との開幕戦から接戦の連続で日本代表の戦いは決して楽なものではなかった。
特に負担の大きい先発投手が序盤で失点するケースも多く、5回ないしは80球を過ぎたあたりが限界だった。そのためどうしても早くからリリーフ陣が準備して、継投勝負の戦いを強いられることになっていた。
初戦のドミニカ戦とノックアウトステージ初戦の米国戦で中継登板し、いずれも失点した青柳もバタバタの投手起用のために思うように力を発揮できなかった投手だったかもしれない。
「いつもと違う場所で投げてもらったり、本当にタフなところで投げてもらってこちらは申し訳ない気持ちで一杯だった」
稲葉監督もこう振り返ったように、もともと阪神では先発一本で、リリーフ経験はプロ1年目の16年に1度あるだけ。しかも基本的な青柳の役割は大野と同じ第2先発。そのため登板した2試合ともに初回から肩作りを始めて、登板までに何度もブルペンで投げていた。ただでさえリリーフ慣れしていない投手をその状況でマウンドに送り出しても、コンディションはもちろん気持ちの作り方も難しいのは明白だったかもしれない。
日本代表のブルペンにはコーチが1人もいなかった
実は日本代表のブルペンにはコーチが1人もいなかった。攻撃のときには一塁コーチャーに井端弘和内野守備走塁コーチ、三塁に清水雅治外野守備走塁コーチが立つが、守備のときにはこの2人に金子誠ヘッド兼打撃コーチ、建山投手コーチ、村田善則バッテリーコーチと稲葉監督を加えた全首脳陣がベンチにいたのである。
ブルペンでベンチと細かく打ち合わせをして投手の起用を責任を持って指示できるコーチがいない。話題になった甲斐拓也捕手がブルペンと電話で打ち合わせをするシーンも、実はそうした背景が無関係ではなかったかもしれない。