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壮絶なイジメ、解雇事件…絶対的エース・大林素子はバレーでいかに“復讐”したのか「信用したって点はとれない」
text by
河崎環Tamaki Kawasaki
photograph byShigeki Yamamoto
posted2021/07/14 11:04
現役引退から25年が経った大林素子さん(54)
山田から直々に参加許可をもらった大林は、翌日から1日も休まずに日立へ通った。学校の授業、部活を終え、夜に1時間半ほど日立で練習する。
「高校も通信教育にして、もう日本代表へ行こうかっていう案もあったんですけど、やっぱり中1からバレーを始めたばっかりで、あまりにヘタクソで……。高校でもうちょっと力をつけようと、八王子実践へ進みました」
スカウトされたけど「もう全然素人でした」
八王子実践は春の高校バレーの優勝常連校、名門中の名門だ。「その当時、八王子実践は全国1位だったんですよ。やっぱり強いところで揉まれるのはいいなというので、実践を選んで。でももう強豪なんで出る幕がないんです。だから余裕のある試合の時に、途中から出してもらうような1年間ですよね。あとは先輩方の掃除やマッサージを毎日してる感じ。でも、礼儀や高校の厳しさを色々学べました」。
こうして聞いていると、アスリートとしての王道を歩み、トントン拍子で階段を上っているかのようにも思うが、大林は中2で日立に通い始めてからソウル五輪に出るまで、人生がガラガラと変わっていった濃い7年間の記憶をとても大切にしているようだった。
「中2で山田先生に日立にいらっしゃいと言われた時、実は競技経験としてはほんの数カ月しかなかったんです。中1でバレーボール部には入ったけど、練習がしんどくて秋まで部活はほぼサボり。毎日イトーヨーカドーとロッテリアに寄って帰るような生活で。謙遜でなく、もう全然素人でした。中3まではレギュラーにもなってないし。八王子実践でも2年生からレギュラーなので、特別できる選手だったなんてことは全然なかったんですよ。今となってみると、素質はあったんですかね(笑)」
本人曰く、中学時代に部活をサボって遊んでいた当時は「今日生きるのを逃げていた時代」。それにしても、日本の女子バレーを背負うスーパーエースが、ごくごく普通の中学生だったなんて、かなり意外だ。
「まず、別にスポーツが好きでもないし、普通よりも運動ができたわけじゃない。私、体育の成績もずっと“普通”だったんですよ。中3で全日本中学選抜に選ばれて、なぜか成績が4になりましたけど(笑)。走るのも普通で、そんなに泳げないし、逆上がりできないし。あと自慢じゃないけど、顎を床につけるようなアスリート腕立ては人生で一度もできたことないですね」
“普通の少女”はなぜ日本のエースになれた?
では、「運動能力はごく普通」というオリンピアンは、どうやって日本を背負って立つエースになったのか。