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清原和博「何十年後でもいい。王さんは、本当の事を言ってくれるだろうか」ドラフトがもめた“あの日” 

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posted2020/10/26 11:02

清原和博「何十年後でもいい。王さんは、本当の事を言ってくれるだろうか」ドラフトがもめた“あの日”<Number Web> photograph by KYODO

1985年のドラフトで西武に指名され、沈んだ表情を見せるPL学園の清原

日本中を敵に回した江川と巨人

<名言 2>

「1億人の中で一番悪人みたいに言われましたからねェ」
(江川卓/24号 1981年3月20日発売)

◇解説◇

 作新学院高校、法政大学で“怪物”と評された江川は、1973年と77年と二度のドラフトで他球団からの指名を拒否してでもジャイアンツへの入団を望んだ。

 そして1978年のドラフト会議の前日、巨人は当時の野球協約の盲点をついて選手契約を結んだと発表した。いわゆる「空白の1日」事件である。

 この登録申請をコミッショナー事務局が却下したことで、巨人は翌日のドラフトを欠席。抽選の結果、阪神が江川の交渉権を獲得した。その中で巨人入団の信念を曲げない江川に対して、当時の金子鋭コミッショナーが「阪神と入団契約を交わし、その後巨人にトレードさせる」という“強い要望”を出した。

 その結末は翌1979年1月31日、阪神入団契約を交わした江川と巨人・小林繁のトレードとなったが、この経緯によって巨人と江川は大きな反感を買うことになった。

 プロ2年目を終え、結果を出して世論も落ち着いてきた頃のこと。江川は「空白の1日事件」の際の激しいバッシングを、冒頭の言葉でしみじみと振り返った。

 この記事で江川は「あれだけ問題になったのは、最初で最後、これからも出ないんじゃないですか」とも語っている。

 さすがの怪物でも、日本人の大多数が“アンチ”になるのは応えたのかもしれない。

【次ページ】 入団拒否・元木には「なめてんのか!」の声も

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