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【追憶】パンチョ伊東の秘密…ドラフト司会25年間で呼び上げた1991人、最後の年はイチローを
text by
吉川達郎Tatsuro Kikkawa
photograph byKazuhito Yamada
posted2020/10/26 11:01
25年間、ドラフトで選手の名前を呼び上げたパンチョ伊東氏
元パ・リーグの名物広報部長で、パンチョのニックネームで親しまれた伊東一雄さんが亡くなってもう8年が経つ(2002年7月4日没)。球界きってのメジャー通で知られ、野茂英雄やイチローら多くの日本人メジャーリーガーが慣れない異国の地で奮闘する姿を、誰よりも楽しみに見ていた。
「そりゃ気になるさ。だって、彼らは俺に名前を呼ばれなきゃ、この世界に入って来られなかったんだからな。親心という訳じゃないけど、やっぱり活躍すれば息子のように可愛いもんさ」
伊東さんの口癖だったこの台詞は、毎年11月の中・下旬に開催されていたドラフト会議を示唆している。1967年の第3回ドラフト以降、司会進行役は伊東さんの“ハマリ役”で、それはパ・リーグを退局する1991年まで25年間も続いた。この会議で12球団が指名・入札したすべての選手は、伊東さんのあの張りのある独特の声で呼び上げられるわけで、「俺に名前を呼ばれずにプロになった奴がいたとしたら、そいつはモグリだよ」と言っていたのは、そういう理由からであった。
ドラフト本番前、運河沿いの倉庫で行った予行演習
1991年11月18日。筆者はパ・リーグ事務局のある銀座で伊東さんと落ち合った。1丁目の「中華第一楼」で遅い昼食をとり、それから地下鉄とJRを乗り継いで浜松町に出た。何処に連れて行かれるかわからない筆者に、伊東さんは「いいから、付いて来い」としか言わず、今度はモノレールに乗り換える。下車したのは大井競馬場前。素晴らしい秋晴れの午後で、青空の下、運河沿いの大倉庫街をしばし歩くと、「東神倉庫」と書かれた大きなビルに入っていった。 そのビル内の一室。球団名が貼り付けられた12台のテレビとデスクトップ型のパソコンが設置されている特設舞台を見て、それが4日後に新高輪プリンスホテルで行なわれるドラフト会場を模したセットであることはすぐに理解できた。室内には我々の他、アシスタントらしき女性が一人だけ。上位指名予想選手の名前が画面に映し出される度に、例の聞き慣れた「第1回選択希望選手……」という伊東さんの名調子が室内に響く。時間にして約1時間であったが、伊東さんがドラフト本番前に、毎年必ず予行演習をしていた事実を、そのとき初めて知ったのだった。
「あんまり人様に見せられる姿じゃねえからな。ま、最後だし、特別だぞ」