“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
突然呼ばれた面談室「何で俺が?」。
J1川崎が見込んだ静学・田邉秀斗。
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph byTakahito Ando
posted2020/08/13 15:30
昨年の選手権では先輩・松村優太(鹿島)をサポートし、24年ぶりの優勝に貢献。J1川崎は当時から田邉を注目していたという。
中学時代は無名、県トレセンも選ばれず。
「技術を重視するクラブであるフロンターレでは、現実(技術の違い)を突きつけられると思うし、少しでも気を抜いたら置いていかれる環境だと思っています。そこに覚悟を持って飛び込むからこそ、成長できるという確信もある。それ以上にフロンターレというチームが僕を欲してくれたのに、他のクラブの話を待とうとか、話を聞いてから決めようなんて思いは一切ありませんでした」
田邉は京都府の南に位置する相楽郡出身。中学時代は実家から車で15分程度の場所に拠点を構える奈良YMCAジュニアユースでプレーした。実力者たちが揃う強豪クラブでは中2まではベンチ入りすらできず、県トレセンにも引っかからない存在だった。
「(高校では)上でやりたい気持ちはあったけど、自分の実力では強豪校から声がかかるなんて絶対にないと思ったし、本気でサッカーをするのは中学までかなと思っていました。普通に受験をして、京都の公立校でサッカーをやろうと」
「何で俺が?」静学入学も即決だった。
中学2年の12月、とあるフェスティバルで田邉にチャンスが巡って来た。奈良YMCAの主力9人が県トレセンの活動のため不在にしており、この試合に抜擢されたのだった。CBとしてプレーした田邉の姿は、そこに視察に訪れていた静学関係者の目に留まる。
もともと奈良YMCAにはテクニシャンが揃い、技術の高さが求められる静学へ進む先輩も多かった。しかし、この年に進学したのは県トレセンの9人ではなく、「技術に自信がない」と語っていた控えメンバーの田邉だった。
「何で俺が? 何かの間違いでは?」
当時の記憶も、川崎からオファーをもらった時と同じだ。それでも「断る理由はありませんし、他の選択肢なんて考える余裕はありませんでした」と即決。上でチャレンジできるチャンスがあるなら迷わない。田邉のメンタリティーはこの頃からずっと変わっていない。