One story of the fieldBACK NUMBER
「人気のセ、実力のパ」からの挑戦。
プロ野球ビジネスが迎える新時代。
posted2020/07/01 11:45
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph by
PLM
パシフィックリーグマーケティング株式会社(PLM)の代表取締役、根岸友喜の原風景は読売ジャイアンツとともにある。
「子供の頃、実家のテレビではいつも祖父の見るプロ野球中継が流れていました。いつも巨人戦でした。おかげで、原(辰徳)さん、篠塚(和典)さんの応援歌は自然に覚えてしまって、空で歌えました(笑)」
巨人が勝てば家長が笑い、負ければしかめっ面になる。その当時の多くの家庭と同じような環境に根岸もいた。
さすがに「巨人、大鵬、卵焼き」の時代は過ぎ去っていたが、プロ野球の価値観は依然としてジャイアンツ・ブランドと、巨人戦というドル箱カードを持つセ・リーグがその中心を占めていた。
「人気のセ、実力のパ」という2リーグの不均衡、パ・リーグの不人気を揶揄する、こんな言葉が当たり前に用いられていた時代の真っ只中で根岸は育った。
根岸がそうした価値観に違和感を覚えたのは就職して社会人になり、自分の給料でスタジアムへ野球を観に行くようになってからだ。
「自分で野球をやったことはなかったんですが、スタジアムの雰囲気が好きで、東京ドーム、神宮、西武ドーム、千葉マリンと関東にある球場にはよく足を運びました。ただ、惹きつけられたのは、小さい頃から刷り込まれていたはずの東京ドーム・ジャイアンツ戦ではなく、なぜか、千葉マリンスタジアムでの観戦だったんです」
楽天に入団、ミッションは「観客を増やす」
根岸の心に刻まれたのは、千葉マリンの外野スタンドの一体感だった。サッカーのチャントのような応援が繰り広げられる熱狂のライトスタンドに身を投じてみると、野球というゲームの勝敗だけではなく、この連帯感そのものが、人々がスタジアムに足を運ぶ理由なのだということがわかった。そして、自分もその中のひとりだということに気づいた。
そうやって野球との関わりを求めていた根岸は2007年、勤めていた旅行代理店などを辞めて、ちょうど球団職員を募集していた新興球団、東北楽天ゴールデンイーグルスに入団した。
広報部、事業部で働くことになったが、前職でもマーケティングを専門分野としていた根岸が主に担当したのは「観客を増やす」というミッションだった。
「驚いたのはプロ野球というのは寒い日も暖かい日も、晴れでも雨でも、平日も休日も、いつもチケットの値段が同じなんです。私は旅行代理店にいたので、夏休み中は値段が高くなるのが当たり前で、いつも同じ価値であるはずがないと考えていました。だから最初は時期や、状況によって価格設定を変動させる企画をしたりしました。ただ私が入った当初の楽天はなかなかお客さんは入ってくれませんでした」
東北で初めてのプロ野球球団として、創設3年目。楽天にはまだ固定されたファンは少なく、本拠地には空席が目立っていた。
名将・野村克也のもと、2009年にリーグ2位となり、初めてクライマックスシリーズに進出したシーズンは特別な盛り上がりを見せたが、監督交代した翌年、最下位に沈むと、再び客足は元通りになった
悪戦苦闘の中で根岸はあることに思い至った。