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元韓国代表ファン・ソンホンの悔恨。
国のために戦い、次はレイソルと……。
text by
吉崎エイジーニョ“Eijinho”Yoshizaki
photograph byYUTAKA/AFLO SPORT
posted2020/06/26 18:00
2002年3月31日、Jリーグ1stステージ、vs.東京ヴェルディ戦でのファン・ソンホン。この試合、1-0で柏レイソルが勝利した。
Jリーグは「傷を癒やしてくれた場所」。
'98年シーズン途中にセレッソ大阪に加わったファン・ソンホンにとってのJリーグはまず、「新たなチャレンジ」としての位置づけだった。'18年にJリーグ25周年を記念して話を聞いた際、こんなことを言っていた。
「Jリーグとは、本当にありがたい場所です。'98年W杯を負傷で棒に振った私の非常に難しい時期を持ちこたえさせてくれたからです。傷を癒やしてくれた場所。
仮にその時期にJリーグが存在しなければ、私はいまこの場でインタビューは受けていないでしょう。あるいは今のファン・ソンホンすら存在しないと思っています。その時期に傷を癒やしてくれたからこそ、30代になっての'02年W杯出場にも繋がった。私にとっては本当にいい思い出が残っている場所。それがJリーグです」
'97年W杯予選時に右膝を負傷。これが回復した頃、親善試合の中国戦で左足を負傷した。結果、フランスまで行ったもののピッチに立てず。同時代に「黄金コンビ」と呼ばれたチェ・ヨンスとのコンビもほとんど実現しなかった。
その後、新たなスタートを切る場が必要だった。「欧州だったらいいな、と思っていたがJリーグも十分に魅力的な場だった」という。
しかし実際には、いいことばかりではなかった。名手は、じつはJリーグとは悲惨な別れを経験している。この記憶こそが、むしろこの韓国の名ストライカーにとってのJリーグの記憶を色濃くしているのではないか。
「Jリーグでは力を抜いている」
'00年から'02年に在籍した柏レイソルでは、サポーターからかなり厳しい目で見られていた。
「代表では本気を出すのに、Jリーグでは力を抜いている」
実際に負傷を理由にリーグ戦の試合を休んだが、直後の代表の練習には参加したという出来事もあった。当時の取材メモを読み返すと「代表招集の時期が近づくと、明らかにフィジカルコンタクトを避けていた」という走り書きがあった。
'99年、'00年に上昇気流にあった柏の成績も下り坂だった。'01年はファーストステージ6位、セカンドステージ7位。西野朗監督も途中解任されてしまった。'02年はW杯をはさんだファーストステージで14位に終わっている。
このことについて、本人の引退後の'03年に『Sports Graphic Number』の取材で話を聞いたことがあるが、まさに「行くときは行く」。難しい質問に対しても、なんでもはっきりと喋った。