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「実力でケイスケ…それだけだ」本田圭佑17歳を抜擢、柏レイソル“降格→2年でJ1優勝”…ネルシーニョ73歳「監督を引退する気はない」
posted2024/02/24 11:03
text by
沢田啓明Hiroaki Sawada
photograph by
Hiroaki Sawada/Nanae Suzuki
ヴェルディ川崎に1994年7月から96年4月まで在籍して見事な成績を残し、日本代表監督の有力候補に挙げられた男は、ブラジル有数の強豪クラブやチリの名門クラブを率いた後、2003年、名古屋グランパスエイト(当時)の監督に就任する。
そこで出会ったのが、当時17歳ながら強烈な特徴と個性を持つ若者だった。
実力で選んだら、ケイスケが入った。それだけだ
――本田圭佑は、04年に名古屋の特別指定選手となり、あなたは7月24日のナビスコカップのジュビロ磐田戦に後半途中からピッチへ送り込みます。そして05年、正式に名古屋へ入団すると、3月15日の開幕戦(注:対ジェフ千葉)に先発させます。当時、18歳9カ月でした。
「開幕戦で高校を出たばかりの18歳を先発させたことは、当時、かなりの反響を呼んだ。驚いた人がかなりいたようだった。しかし、フットボールに年齢は関係ない。実力でメンバーを選んだら、ケイスケが入った。それだけのことだ」
――当時の本田の振る舞いで覚えていることはありますか?
「チームには、CB秋田(豊)、GK楢崎(正剛)ら日本代表でも活躍した実力者がいたが、彼らに対しても全く臆することなく話しかけ、プロとして成功するための秘訣を聞き出していた。ウェズレイ、マルケスらブラジル人選手から注文を付けられても、自分が納得できなければ口を尖らせて言い返していた。プロ意識を持ち、高い目標、たとえばいつまでに日本代表に入りたい、欧州でプレーしたいといった具体的な目標を持っていた。この点でも彼は日本では例外的で、南米や欧州の選手に近いと感じた」
――05年に名古屋の指揮を執った3月から9月中旬までの24試合のうち、あなたは約71%に相当する17試合で彼を先発させた。MFとしてだけでなくFW、時には左SBとしても起用しました。
「大半の試合で先発させたのは、当時、すでにレギュラーとしてプレーできるレベルに到達していたからだ。様々なポジションで試したのは、できるだけ多くの試合で彼の能力を活用したかったし、彼自身にとっても貴重な経験になると考えたからだ」
W杯、欧州での活躍は何ら驚きではなかった
――当然、課題もあったと思います。どのようなアドバイスを送ったのでしょうか?