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「10・8」決戦で落合博満を救った。
須藤豊、ヘッドコーチの“陰の責務”。
posted2020/04/13 19:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
KYODO
『Sports Graphic Number』創刊1000号を記念して、NumberWebでも「私にとっての1番」企画を掲載します! 今回は鷲田康氏による「ナンバーワン」のヘッドコーチ論です。伝説の「10・8」決戦で、巨人・須藤豊ヘッドコーチが果たした知られざる役割とは?
ヘッドコーチについて書きたい。
ナンバー創刊1000号記念企画で「私にとっての1番」という原稿依頼が来たときに思ったのはこのテーマだった。
これまで40年近く野球記者をやってきて、実際に現場に立ち会った試合で文句なしの「1番」は、1994年10月8日にナゴヤ球場で行われた中日対巨人戦、いわゆる「10・8決戦」に決まっていた。
一夜に全てを賭けた壮絶な戦い。
長嶋茂雄監督以下の巨人選手、関係者と高木守道監督率いる中日選手、スタッフが、たった一夜に全てを賭けた壮絶な戦い。
ここには様々なテーマがあり、それを記録として残したくて『10・8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(中日の主催試合だから中日対巨人ではないかという指摘を何度もいただいたが、公式記録の表記に従ってこちらを採用した)という1冊の本にもした。
ほぼ語り尽くした話なのだが、いまに通じるある理由から、その中であまり注目されていない須藤豊ヘッドコーチの存在をもう一度、書きたいと思ったのだ。
須藤さんは高知商業から毎日オリオンズ、大毎オリオンズを経て巨人に移籍してきた内野手だった。
現役引退後は巨人、大洋などでコーチ、二軍監督を歴任し、1990年から'92年5月まで大洋で監督も務めた。
そして'93年の巨人・長嶋監督の復帰とともにヘッドコーチとして招聘されて、翌年のこの歴史的な1戦に参加している。
読者の皆さんはヘッドコーチという仕事をどんなものだと思うだろうか。