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「10・8」決戦で落合博満を救った。
須藤豊、ヘッドコーチの“陰の責務”。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byKYODO
posted2020/04/13 19:00
1993年から'95年まで長嶋茂雄監督(左)を支え続けた須藤豊ヘッドコーチ。'94年のリーグ制覇、日本一にも大きく貢献した。
自分たちの試合の流れを変えないために。
9回の川相昌弘内野手の放った打球が直接、バックスクリーンに当たったのに、審判員がフェアとして三塁打になった場面があった。
長嶋監督が猛烈な抗議を繰り広げるが「抗議が長引くことで、せっかく自分たちの流れで落ち着きだした試合を動かしたくない」と思った須藤さんが「監督、引きましょう」と腕を引っ張ってベンチに連れ戻してもいる。
みんなが熱くなっているときに、落ち着いて周囲を見回す目を持つこと。それがヘッドコーチの大事な仕事ということだ。
元木ヘッドコーチの理想像は須藤氏。
巨人では今季から元木大介コーチが昨年の内野守備兼打撃コーチからヘッドコーチに就任して話題となった。
元木コーチが現役時代、巨人に入団したのは1991年。須藤さんがヘッドコーチとして戻ってきた'93年には、内外野をこなすユーティリティープレーヤーとして一軍に定着し始めた頃だった。
翌'94年の「10・8決戦」には「7番・二塁」でフル出場して4打数1安打を記録している。
その元木内野手が引退後の長いタレント生活を経て昨年、指導者として巨人のユニフォームを着た。そしてヘッドコーチになると理想像として挙げたのが須藤さんだったのである。
選手時代の元木ヘッドは抜群の野球センスが光る一方で、そのセンス故に手抜きをしているように映ることも多く、須藤さんにはいつも怒られている印象だった。
それでも本人は「いつも見られている、目をかけられていると思うと気を抜けなかった」と須藤さん流の選手操縦術の中で成長してきたことも自覚していると語っている。
そんな自身の経験を元に指導者として、ヘッドコーチとしての道を歩み出したのだ。