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酒井高徳が悩み抜いて選んだ道。
2つのルーツと、代表を退く決断。
posted2019/04/24 07:00
text by
寺野典子Noriko Terano
photograph by
AFLO
代表引退。
選手自らがそう宣言するのは、日本では珍しい。
2010年ワールドカップ南アフリカ大会後に楢崎正剛、2018年ロシア大会後には長谷部誠、本田圭佑が代表引退を口にしている。
そしてもうひとり、酒井高徳も「4年後は目指さない」とベルギー戦後に語った。
しかし、酒井はこう言っている。
「僕の場合は『引退』ではない。引退というのは、長谷部さんや圭佑くんのように、代表に多大なものを残した選手こそが使う言葉。僕は彼らとは違う。何の結果も残すことができなかった。『引退』という言葉を使う立場にはないから」
2010年大会にはサポートメンバーとして帯同、晴れてメンバー入りした2014年ブラジル大会では、膝をガチガチにテーピングで固定して戦う内田篤人の姿に感動しながらも、自身の無力さを痛感した。
「まだ膝に痛みのあるはずの篤人君の代わりになれるという信頼を、僕は監督から得られなかった。次のワールドカップでは、代表の力になりたいという欲が自然と湧いた」
ベンチ要員に甘んじる気はなかった。
左右両サイドでプレーできる酒井高徳は、長友佑都や内田篤人、酒井宏樹らのバックアップという立ち位置が長く続いた。彼らがコンディション不良や怪我で不在のときには、出場のチャンスが巡ってきた。酒井自身が良いプレーをしても勝てないこともあったし、不甲斐ない仕事しかできない試合もあった。
それでも、指揮官たちは酒井高徳の名前を代表メンバーのリストに入れ続けた。それは、彼が常に準備を怠らず、高い忠誠心とともに力を発揮してくれるという信頼があったからだろう。ピッチ上だけにとどまらず、ベンチワーカーの役割をまっとうできる男という評価だったに違いない。
しかし酒井自身は「優れたベンチ要員」という立場に甘んじることは一切なかった。どんな状況になっても、「試合に出場して、日本の力になりたい」と明言し続けてきた。
ロシア大会ではグループリーグ第3戦に起用されたものの、自身がイメージした仕事はできなかった。不慣れな攻撃的MFでの出場を言い訳にすることもなく、「客観的に見れば、酒井高徳はここに座らせる必要はない。若い選手がベンチに座り経験を積むためにも」と、代表を退く決意に至った。