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酒井高徳が悩み抜いて選んだ道。
2つのルーツと、代表を退く決断。 

text by

寺野典子

寺野典子Noriko Terano

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photograph byAFLO

posted2019/04/24 07:00

酒井高徳が悩み抜いて選んだ道。2つのルーツと、代表を退く決断。<Number Web> photograph by AFLO

熱心なサポーターと喜びを分かち合う酒井高徳。代表から去った後もクラブに欠かせない選手として力を発揮している。

酒井の中にある多くの「ダブル」。

 この春、酒井ははじめての著書『W~ダブル~人とは違う、それでもいい』を発表した。「ダブル」とは、日本人の父とドイツ人の母というふたつのルーツを指したものだ。

「半分と半分でひとつではなく、ひとつとひとつでダブルなんです」と酒井は話す。ルーツ以外にも彼のキャリアには、数多くの「ダブル」があることを記している。

 酒井は幼少期、「ハーフ」と呼ばれることに深く傷つき、周囲の子どもたちと違う外見に強いコンプレックスを抱いていた。その結果、周囲と壁をつくり、ひとり遊びで長い時間を過ごす時期を過ごしていた。サッカーを始めたのが小学5年生と少々遅かったのは、そういう理由があったのだろう。

 しかし、サッカーという自己表現手段を得たことで、酒井に変化が生まれた。優れた運動神経ですぐさま頭角を現し、市から県、県からさらに上へと酒井の世界は広がった。

「ハーフ」だと嘲笑されても。

 当時について「外見以外のことで、自分に興味を持ってもらえることが嬉しかった」と振り返る。対戦相手から「ハーフ」、「外人」だと嘲笑されても、サッカーでやり返した。

 スパイクを買ってほしいと言えば両親を苦しめるだけと感じてチームメイトのお古で代用したが、それを恥ずかしいと思うこともなかった。

「自分にしか興味がなかったんです。だから今よりもうまくなりたいという気持ちだけで精いっぱいだった」

 中学3年生のときにはU-15日本代表に選ばれ、原口元気や宇佐美貴史らとともにイタリア遠征に参加している。そして高校進学と同時にアルビレックス新潟ユースに所属。「自分にしか興味がなかった」酒井が、この進路決定で初めてJリーグやワールドカップなど、今までとは違う世界について知ったという。

 身近に目にする選手たちに感じる「どうやったらあんなにボールが飛ぶんだろう」、「なぜ、ボールを奪われないんだろう」といった身近な疑問を解決するべく、毎日ボールを蹴り続けた。アルビレックス新潟のプロ選手とともにプレーしたことも、酒井の成長速度を早める結果となった。

「まずは観察し、実践して、失敗して、質問して……というのを何度も繰り返した。アルビの先輩にとって僕は、相当な質問魔だったと思います」

【次ページ】 南アフリカで見た日本代表選手の姿。

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