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ロッテ根元俊一、35歳での引退。
その原点は花咲徳栄時代にあった。 

text by

永田遼太郎

永田遼太郎Ryotaro Nagata

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photograph byKyodo News

posted2018/10/31 17:00

ロッテ根元俊一、35歳での引退。その原点は花咲徳栄時代にあった。<Number Web> photograph by Kyodo News

現役時代、ともにプレーした井口監督から労をねぎらわれる根元俊一。今後はコーチとしてチームに残る。

高校の後輩からの感謝。

 引退を表明した翌日に行なわれた9月28日。イースタンリーグの埼玉西武対千葉ロッテでは、相手チームの愛斗と西川愛也が、引退する根元への餞(はなむけ)にと胴上げに参加した。2人は花咲徳栄高で根元の後輩にあたる。チームメイトの伊志嶺翔大が気を利かせてのことだった。

「2人(西川と愛斗)はまだ1年目と3年目だったから、最初は『えっ!?』って感じになっていましたけど、僕は来てくれて本当に嬉しかったですよ」

 根元は毎年、シーズンオフになると母校の花咲徳栄に練習に訪れていた。その際に歳がひとまわり以上離れている後輩たちとも交流を持ち、相手からも良い兄貴分としてよく慕われてもいた。

 横浜DeNAの楠本泰史も、根元が引退を表明した9月27日に自身のTwitterでこんなことを書いた。

「僕が高校2年生のときに頂いたバットです」

 そのバットは彼の部屋で現在も宝物のように保管されているという。彼も花咲徳栄高出身。よほど良い思い出として捉えていたのだろう。

同期の細谷が語った思い出。

 根元と同期入団の細谷圭も彼との思い出をこう語っている。

「寮部屋も隣だったし、高卒で入って社会が何たるかも分からない自分が入って来て、本当にお兄さん的な存在だったから本当に寂しい。本人よりも俺の方が涙腺崩壊しそうでね。それをネモさんに伝えたら『それを見て、俺ももらうから泣くなよ』って言われてね。

 その中で思い出すのは自分が初めて一軍に昇格したときのことだよね。自分が同点タイムリーを、ネモさんがサヨナラ打を打って、(渡辺)俊介さんと3人でお立ち台に上がった。今日の朝も、そんな話を2人でしていたんだけど、『よく覚えているね』って言ってくれて。それが自分にとって一番の思い出。自分が一軍に上がる前にネモさんたちと一緒に飯に行って『いつかみんなでベンチに入って、ワーワー言えたらいいね』とかも話していたから……。

 だからこそ自分の初めての一軍昇格で、一緒にお立ち台に上がるなんてね。まさか夢にも思わなかったし、凄く嬉しかった。選手として唯一残っていた同期だったし、ネモさんから『最後の同期になるから、頼むよ』って言われて、改めて気持ちが奮い立ったというかね、もう1回チームに貢献できるようになろうって思いましたね」

 そんな根元が、来季から一軍の内野守備・走塁コーチとして入閣する。

 まだノックバットも上手く扱えないが、きっとこれまでと同じ努力の積み重ねで名コーチと言われる存在にいつかなってくれるに違いない。なぜなら彼には佐藤兼伊知、松山秀明、そして現ヘッドコーチの鳥越裕介ら千葉ロッテの歴史を支えた名コーチ達の教えが染みついているから。

「できっこないをやらなくちゃ」

 彼が現役最後に使っていた打席登場曲のタイトル。これに尽きる。

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