球道雑記BACK NUMBER
ロッテ根元俊一、35歳での引退。
その原点は花咲徳栄時代にあった。
posted2018/10/31 17:00
text by
永田遼太郎Ryotaro Nagata
photograph by
Kyodo News
ベンチから空を見上げると蒼穹がそこに広がっていた。
2018年10月7日、ZOZOマリンスタジアム。
千葉ロッテマリーンズ・根元俊一が、13年に及ぶ現役生活に別れを告げた。
「本当にあっという間でしたね。色々ありましたけど良い野球人生だったんじゃないかなって思います。その中で1日、1日を無駄にしないようにという意識でやらせてもらって、その意味では、自分の中で小さな後悔で済んだのかなって思います。『ああしておけば良かった』と思う後悔も自分の中ではあまりないので……」
澄み切った空のように、一点の曇りもない、そんな面持ちで現役引退の心境を語った。
プロ生活13年の通算成績は838試合、583安打、204打点、31本塁打、打率2割5分。2012、2013年には規定打席にも到達した根元だが、球団史に名を残すほどの名選手だったかと問われたら、決してそうではなかった。
それでも「なぜ、彼は引退セレモニーを開いてもらえたのか?」と問われれば、その答えはこうだろう。
多くの後輩たちから慕われ、自身の背中でどんなことがあっても諦めない、腐らない、そんな野球人としての生き様を彼が見せてきたから。
また、いつでもレギュラーの穴を埋められるバイプレイヤーとして、チームに欠かせない存在だったからだと思う。
だからこそ入団時から彼を見続けてきた筆者としては、引退式に何の違和感もなかった。
普通の都立高に行くはずが。
入団2年目のオフ。とある取材で彼はこんなことを話してくれた。
「プロに来ることができたのは、人との出会いが大きかったというか、本当に運が良かったんだと思うんです。もともと僕は普通の都立校に進学を決めていて、野球も『遊び感覚でやれればいいかな』くらいの気持ちだったんです。
だけど僕の同期に10校ぐらいの高校から誘いが来るほど凄い選手がいて、彼を(当時の)花咲徳栄の監督が見に来ていた。そのとき一緒に来たコーチが僕に『どこで野球をやるの? セレクション受けに来ない?』と言ってくれたのがきっかけだったんです。その後『うちに来ないか』って話になって、自分も単純だからやる気が出ちゃったんですよね。『ようし、やってやろう』って」
それが彼の本格的な野球人生の始まりだった。