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10.8前夜の特濃ミスター伝説。
槙原・斎藤・桑田の証言がバラバラ?
text by
中溝康隆Yasutaka Nakamizo
photograph byKoji Asakura
posted2018/10/07 11:00
伝説の夜、10.8のマウンドで勝利を喜ぶ桑田真澄。日本球史で永遠に語り継がれる試合となった。
「おぉ、槙原。明日は先発で頼む」
試合前日に長嶋茂雄監督からホテルの自室に呼び出された槙原は、肩を優しく叩かれこう言われたという。
「おぉ、槙原。明日は先発で頼む」
さらに「待ってなさい。もう2人呼ぶから」と続けざまに斎藤雅樹と桑田真澄も部屋に招集され、三本柱に試合を託すことを告げられる。この年の彼らは、31歳の槙原が12勝8敗、防御率2.82。29歳の斎藤が14勝8敗、防御率2.53でリーグ最多の5完封を記録。26歳の桑田は14勝11敗1セーブ、防御率2.52、185奪三振はリーグ最多とそれぞれ年齢的にも投手として最も脂の乗った時期だった。
「明日のピッチャーは、お前たち3人しか使わない。だって、お前たち3人で勝ってきたんだからな。先発は槙原。後ろに斎藤、桑田だ」
そんな監督の決断が嬉しかったし、心強かった。もし自分がダメでも、後ろにはさらにいいピッチャーが2人もいるのだから……槙原の心の不安は、一気に吹き飛んだという。Number790号には、10月7日午後8時半すぎにミスターの部屋に呼ばれた槙原のインタビューが掲載されている。
「話はものの10分でした。“分かりました”と言って部屋を出た。それからは自分の部屋で資料をみたり、シミュレーションしたり……。眠れるかなと思ったけど、翌日の11時ぐらいまでぐっすり寝ました」
なんだか話が違うわけだが……。
しかし、だ。多くの関係者に取材して構成されている『10.8 巨人vs.中日 史上最高の決戦』(鷲田康著/文藝春秋)の中で、当事者のひとりでもある斎藤雅樹は、こんな証言をしているのだ。
「(7日に)僕は監督の部屋に呼ばれていないんです。そもそも名古屋の宿舎の監督の部屋には一度も入ったことがないですから」
斎藤は前日の10月6日のヤクルト戦で先発して6回112球を投げ、古傷の右内転筋痛を悪化させていた。無理をすれば投げられないこともなかったが、ナゴヤ球場での練習を終えて宿舎のホテルに戻ると、人づてに槙原と桑田が監督に呼ばれたことを聞いたという。
ならば、明日の自分の登板はないなと緊張することもなく早めにベッドに入って眠りにつく。なお、同じくぐっすり寝た槙原は翌8日11時過ぎに起きると、自室でのんびりテレビをつけて『笑っていいとも!』を見ていたという。
それぞれ背景は違えど、意外なほど普通の精神状態であの伝説の試合に臨めていたわけである。