野球のぼせもんBACK NUMBER
西野采配の妙は野球にも生かせる?
SB工藤監督が仕掛けるワナと奇襲。
posted2018/07/04 10:30
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
Kyodo News
サッカー日本代表の「ボール回し」が議論を呼んだロシアW杯、グループリーグ最終戦のポーランド戦。いくら是非を問うたところで考え方は人それぞれである。ある意味、どちらも正しい。ただ筆者は、これも西野朗監督の「采配」なのだなと納得してテレビを眺めていた。
サッカーも好きだが、職業柄つい野球になぞらえて考えてしまう。
ふと頭に浮かんだのは、南海ホークスOBの藤原満氏にかつてインタビューした際に聞いた昔話だった。
「ワシ(が現役)の頃はランナー満塁、ツースリー(3ボール2ストライク)で『待て』のサインがあったよ。こういうのを『采配』と言うのよ。それができる監督こそ、策士や。いまのプロ野球にそんな監督おらんやろ」
藤原氏は主に1970年代に活躍。ミートの巧い三塁手で、'76年には130試合にフル出場してリーグ最多の159安打を放った一方で、三振はわずか37個というシーズンもあった。14年間で通算1354試合に出場。引退後はそのままコーチを務め、福岡ダイエーホークスでは二軍監督にも就任。71歳の現在も九州朝日放送で解説者をしており、福岡ではすっかりお馴染みの顔である。
野村采配は南海時代に出来上がっていた。
「わしが長いこと野球で生きてこられたのは野村さんとブレイザーのおかげよ」
入団2年目の'70年、南海に野村克也選手兼任監督が誕生。右腕として支えたのがドン・ブレイザーヘッドコーチだった。彼らがホークスに頭を使う野球、いわゆるシンキングベースボールを導入した。
「それまでは根性と義理人情の野球だった。もちろん頭は使うけど、細かな確率までは考えない。ほら、気合入れて行けよって感じだった(笑)。野村さんは頭が良く、研究熱心な人だった。そして相手の分析は本当に凄かった。野村さんがヤクルトに行って『ID野球』をやったと言われるけど、その基礎はワシがいた南海時代に出来上がっとった」
野球は確率論。それが“ノムラの考え”の根っこだ。