Jをめぐる冒険BACK NUMBER
仲介人、社長、実況アナウンサー。
西岡明彦の24時間365日サッカー人生。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2018/04/20 10:30
元広島・森崎浩司のユニフォームの前で笑顔を見せる西岡明彦氏。彼もまたサッカー界に不可欠な存在だ。
「大事なのは、文字になっていない情報」
フリーのサッカーアナウンサーとして頭角を現していった西岡が、この頃こだわり続けたことがある。
どんなに仕事が少なくても、サッカーの仕事しかしない――。
それゆえ、事務所からの誘いも頑なに断った。事務所に入れば、サッカー中継のない日に競馬や競艇、野球など、ほかの中継の仕事が回ってくるが、西岡は仕事の幅を広げるつもりがなかったのだ。
「僕はもともとサッカーの世界に入りたい、サッカーに関わりたいということで会社を飛び出したわけです。フリーランスのアナウンサーの中にはマルチな活動をされている方もいますが、僕の場合、サッカーに関わることの一部がしゃべること、という感覚。当時もサッカーの仕事ができていたし、サッカーの仕事がない日は、次の中継の準備に充てたいと思っていましたから」
ちなみに、事前準備として、担当ゲームの両チームの直近の試合を最低でも2試合ずつ、時間があれば3試合ずつ、ノートを片手にチェックするという。
「大事なのは、文字になっていない情報です。得点者、スコア、交代というのは記録で分かるけれど、この選手は調子が良い悪いとか、あの選手はあのアクシデントでケガをしたという情報は、映像を見ないと分からない。だいたい土曜に2試合、日曜に2試合しゃべりますから、月曜から木曜あたりまで、ひたすら試合を確認しています」
森保がスパイクを脱いだ'04年の転機。
事務所には所属せず、あくまでもサッカー専門のアナウンサーとして活動していた西岡に転機がやってきたのは、2004年のことだった。
前年の2003年シーズン限りで、親友の森保がベガルタ仙台でスパイクを脱いだ。
ふたりの共著という形で『ぽいち』と題された自伝を2004年2月に上梓したが、その印税を折半しやすくするため、ふたりの事務所を作ろうという話になった。
それが現在、西岡が代表を務める「Footmedia(フットメディア)」を立ち上げるきっかけだった。
「最初は僕たちと経理の3人だけ。人を増やすつもりもなかったんですけどね」