Jをめぐる冒険BACK NUMBER
仲介人、社長、実況アナウンサー。
西岡明彦の24時間365日サッカー人生。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byAtsushi Iio
posted2018/04/20 10:30
元広島・森崎浩司のユニフォームの前で笑顔を見せる西岡明彦氏。彼もまたサッカー界に不可欠な存在だ。
イングランドの空気を知る実況として。
「自分も、と思って、サンフレッチェでお世話になっていた方に、どこかクラブを紹介してほしいと相談したんです。そうしたら、その前に海外で勉強するのもいいんじゃないかという流れになってプレミアリーグを薦められ、『1年ぐらい英語とサッカーを勉強してくるので、帰国したらよろしくお願いします』と頼んだら、任せておけと」
サラリーマン生活に別れを告げた西岡は、海を渡った。平日は大学で講義を受け、週末にはスタジアムに足を運ぶ。そうして1年が経ち、帰国の時期が近づいてきた。イングランド行きを勧めてくれた人物に再びコンタクトを取ると、約束通り、あるJクラブを紹介してくれるという。ただし、こんなことも言われた。
そのクラブに入っても一からのスタートになるから、海外で学んだことを生かせる保証はない。せっかく実況のスキルがあるんだから、サッカー実況で名前を売って、将来それなりの待遇でクラブに入ったほうが、やりたいことをやれるんじゃないか――。
「なるほど、たしかに一理あるなと。幸い、テレビ局で働いていたので『スカパー!』や『J SPORTS』に知り合いがいたし、現地の空気を知っているアナウンサーは需要があるんじゃないかって」
プレミア、セリエA、そして日韓W杯。
帰国したのは'99年の夏。「あの程度のスキルでよくフリーになろうと思ったもんだ」と西岡は笑ったが、「J SKY SPORTS」が1997-98シーズンからプレミアリーグの中継を始めたところだった。
こうした幸運も手伝って、最初は月に1、2試合程度だったが、実況のチャンスを掴むと、次第に「アナウンサー・西岡明彦」の存在は認知され、セリエA、ワールドユースと実況の機会を増やしていく。そして2002年の日韓ワールドカップを迎えるのだ。
「2002年に向かって動き出す時期に、ちょうど僕がその場にいて、日韓ワールドカップを含め、いろいろと経験させていただいた。そのおかげで今があると思います」